世の中の経済学者たちはBitcoinに対してどのような見方を持っているのでしょうか。経済学者たちに対するアンケート調査によると否定的な見方がやや多いようです。本記事では著名な経済学者たちのBitcoinに対する見解を紹介するとともに、なぜ多くの経済学者たちがBitcoinを嫌っているのか、その理由について考察しています。ぜひご覧ください。
本記事は、 トロント大学ロットマンスクールオブマネジメントのInnovation & Entrepreneurshipの学部長を務める経済学者、ジョシュア・ガンズ氏(Joshua Gans)の「Why Economists Don’t Like Bitcoin」の内容を日本語へ翻訳し掲載したものです。原文の英語版はこちらをご覧ください。
経済学者とBitcoin
私はいち経済学者として、Bitcoinファンではありません。何だか違和感を感じてしまうのです。経済学者たちの中には、私と同じような考え方を持っている人が多くいます。
しかし私はBitcoinやブロックチェーンについて実際に研究をしてきた経済学者でもあるため、Bitcoinに対する違和感を感じる一方で、Bitcoinやブロックチェーンのもつ魅力に惹かれることもあります。
システムやプロトコルとしてのエレガントな美しさに魅力を感じますし、果たすべき機能を果たしているという有用性も大変評価しています。私の中に存在している2つの相対する考え方を両立させることはできるのでしょうか。
今回の記事では、なぜ経済学者たちはBitcoinを好まないのかというところに焦点を当てたいと思います。始めるにあたってまずは「経済学者はBitcoinを好まない」という主張の論拠から述べたいと思います。
論拠をご紹介した後、経済学者たちがBitcoinを好まない理由について考察していきます。
これから先の議論でも説明していきますが、実はほとんどの理由は経済学的な思考とは一貫していません。しかし経済学をもっと適切に適用することさえできれば、Bitcoinの問題に関してより思慮深く、より実用的に論じることができると考えています。
主張の論拠
Bitcoinに関する経済学者たちの意見をまとめたポール・クルーグマン氏の見解の紹介
(アメリカの経済学者で2008年度にノーベル経済学賞を受賞した)ポール・クルーグマン氏(Paul Krugman)は以下のように、Bitcoinに関する経済学者たちの類型的な見解についてまとめています。
Bitcoinは2009年に導入された最初の暗号通貨にして最も有力な暗号通貨です。高度な暗号化技術によってトークンの所有権の連鎖を確立し、最新の所有者に確実にトークンの所有権を付与します。
現在では家や車と言った大きな買い物、請求書の支払い、ビジネス投資、その他さまざまな場面でBitcoinが利用されるようになりました…というのはうそで、我々はそのような暮らしをしてはいません。導入から12年ほど経った今でも、暗号通貨は我々の日常の経済活動の中ではほとんど役割を果たしていません。暗号通貨が投機的な取引ではなく単なる支払い手段として使われるケースはごく稀で、それこそマネーロンダリングだとか、コロニアル社がハッカーに脅されてBitcoinを支払ったとか、ほぼほぼ違法行為に関連した話しか聞きません。
クルーグマン氏はさらに、Bitcoinはポンジスキームのように思えるかもしれないが脇役だからまったく問題ない、といったことも述べています。彼のこのような見解は首尾一貫していてまったくブレがありません。彼が2018年にまとめた意見を見てみましょう。
日常生活の中で暗号通貨が普通に使用される日はくるのでしょうか。暗号通貨を取り巻く救世主的な語り口とより現実的な実態との間に溝があることを考慮すると、将来的にはそのような日が来る可能性の方が高いとは思っています。
つまり、他の暗号通貨はともかくとして、少なくともBitcoinは主に脱税の目的や闇取引で使われ続けることで、ある種の均衡に達する潜在的可能性があるということです。しかし問題は、この均衡からさらに先に進むのは難しいだろうということです。そしてブロックチェーンの未来に関する夢というのは一度死んでしまうと、その失望は業界全体を崩壊させてしまうでしょう。
経済学者たちの大半は概ね上記のクルーグマン氏の見解に賛成しているようです。このことは経済学者たちを対象に定期的に行われているアンケート結果から読み取ることができます。以下の部分ではアンケートの質問と回答の例を一部ご紹介します。
経済学者たちのBitcoinや暗号資産に対する考えに関するアンケート調査結果の例
質問:Bitcoinや他の暗号資産等の非中央集権的な通貨の価値の源泉を生み出している大きな要因は、違法行為に利用するための利便性にあると思うか
グラフ出典:https://www.igmchicago.org/surveys/cryptocurrencies/
左表:単純な回答分布 <左から>強くそう思う、そう思う、どちらともいえない、そう思わない、強くそう思わない、この話題に関して特に意見を持っていない、無回答
右表:各専門家の自分の回答に対する自信の度合いによって加重調整された回答分布 <左から>強くそう思う、そう思う、どちらとも言えない、そう思わない、強くそう思わない
質問A:Bitcoinは通貨よりもゴールドに近いと思うか
質問B:Bitcoinの性質は1960年代のチューリップバブルよりもゴールドに近いと思うか
グラフ出典:https://www.igmchicago.org/surveys/bitcoins/
左表:単純な回答分布 <左から>強くそう思う、そう思う、どちらともいえない、そう思わない、強くそう思わない、この話題に関して特に意見を持っていない、無回答
右表:各専門家の自分の回答に対する自信の度合いによって加重調整された回答分布<左から>強くそう思う、そう思う、どちらとも言えない、そう思わない、強くそう思わない
質問:Bitcoinの価値は、純粋に人々が取引に使いたがるだろうという確信に基づいて生まれているがゆえに、その購買力は時間とともに変動し、いずれは有用性を制限するまでに至る可能性があると思うか
グラフ出典:https://www.igmchicago.org/surveys/bitcoins/
左表:単純な回答分布 <左から>強くそう思う、そう思う、どちらともいえない、そう思わない、強くそう思わない、この話題に関して特に意見を持っていない、無回答
右表:各専門家の自分の回答に対する自信の度合いによって加重調整された回答分布 <左から>強くそう思う、そう思う、どちらとも言えない、そう思わない、強くそう思わない
質問:ブロックチェーンは金融分野において破壊的イノベーション(持続不能なイノベーション)というよりは持続的(持続可能な)イノベーションとなる可能性が高いと思うか
回答分布 <上から>強くそう思う(濃緑)、そう思う(明るい緑)、どちらでもない(黄色)、そう思わない(オレンジ)、強くそう思わない(濃いオレンジ)
こちらのアンケートは筆者も実際に参加して回答したものですが、筆者はそう思わない(どちらかといえばブロックチェーンは持続的イノベーションだと思わない)側として回答し、以下の意見を述べさせていただきました。
持続可能なイノベーションというのは、必ずその核心的な部分において現行システムのアーキテクチャと整合しているものです。しかしブロックチェーンは、少なくとも最も話題になっている側面(つまりパーミッションレスという側面)において、まったく現行システムのアーキテクチャと整合しているとは言えません。
(Jashua Gans トロント大学)
特筆すべきは、ブロックチェーンは通常のトラストメカニズムなくして安全な運用を試みようとしている点において、金融業界の従来の仕組みとは正反対の道を行っているということです。
ブロックチェーンの成功の先には(成功するかどうかもまだまだ不確実ですが)必ず新たな代替アーキテクチャの需要が出てきます。したがって、ブロックチェーンは最終的には持続できないで終わるだろうと考えています。
こちらは2017年のアンケートですが、なかなか有益な内容となっています。
質問A:Bitcoinには最低でも1000ドルの根源的な価値があると思うか
質問B:1BTCの今後2年間の予想価格の最高値は現在価格(2017年12月の価格=当時の史上最高値であった19,000ドル超)程度だと思うか
調査・グラフ出典:https://www.igmchicago.org/surveys/bitcoin-ii/
左表:単純な回答分布 <左から>強くそう思う、そう思う、どちらともいえない、そう思わない、強くそう思わない、この話題に関して特に意見を持っていない、無回答
右表:各専門家の自分の回答に対する自信の度合いによって加重調整された回答分布 <左から>強くそう思う、そう思う、どちらとも言えない、そう思わない、強くそう思わない
BTCの予想価格を問う質問Bに対する回答から言えるのは、アンケートが実施された時の1BTCの価格は当時としては史上最高値の19,000ドル超えだったため、回答をよせた経済学者たちの多数意見としては「今後は下がる」という見解だったということです。実際、経済学者たちの見解のとおりになりました。
なお、アンケート実施時点から最近にいたるまでの最低値の方をみていくと、1000ドルではなく4200ドルでした。これまた、経済学者たちの見解が正しかったようにも見えます。しかし、この調査結果だけでは曖昧性が残ります。というのも、(質問Aの1000ドルという価格を否定した経済学者たちは、1000ドルほど低くはないと思っていたというよりは)根源的な価格は1000ドルもない、と考えていた可能性があるからです。経済学者たちの回答を何例か個別に見ていきましょう。
まずはシカゴ大学の経済学者オースタン・グールズビー氏(Austan Goolsbee)です。質問A(Bitcoinの根源的な価値は1000ドルだと思うか)に対しては「そう思わない」、回答に対する自信は「40%」と答えており、「Fundamental?(根源的な価値とは?)」というコメントを残しています。
次はハーバード大学の経済学者でノーベル賞の受賞者でもあるオリバー・ハート氏(Oliver Hart)です。ハート氏の意見は、前にご紹介したいわゆる経済学者たちの類型的見解に非常に近いものであるように思えます。
ハート氏の質問Aに対する答えは「どちらともいえない」で、回答に対する自信は「50%」となっています。氏は「Bitcoinに関してはとらえかねています。経済理論的には無価値であるはずなのに、実際はそうではありません。しかし、いつかは崩壊するバブルだと思っています。」とコメントを残しています。
もう1人、ノーベル賞を受賞している経済学者の意見をみてみましょう。ハーバード大学のエリック・マスキン氏(Eric Maskin)です。マスキン氏の質問Aに対する回答は「強くそう思わない」、回答に対する自信は「70%」となっています。マスキン氏のコメントは次の通りです。「Bitcoinの根源的な価値はゼロです。」
経済学者は感情に頼った見解を言うべきではない
これまで見てきた意見や調査結果の妥当な考察としては、どうやら経済学者の多くはBitcoinに困惑しており、過去13年の間に起こってきた出来事もあまりBitcoinをとらえて理解する助けにはなっていないようだ、といったところではないでしょうか。
しかしそれと同時に、経済学者たち本人は、Bitcoinに関する十分な情報はそろっているはずだから自信を持って意見を言うべきだという思いがあるようにも感じます。
私は決して批判的なことを言いたいわけではありません。経済学者たちのこのような気持ちはよく理解できますし共感もしています。ただ一つ言いたいのは、よりによって経済学者が感情に頼った物言いをするべきではないだろうということです。
Bitcoinはれっきとしたもので、我々の世界の一般的な価値判断基準(市場価値の原則として知られる、ものには市場でついた価格相応の価値があるという判断基準)によれば、6000億ドルの価値があります。このようなものが、なんでもない無価値なものであるはずがありません。
経済学者がBitcoinを毛嫌いする理由の候補に関する考察
ここから先は、経済学者たちがBitcoinを好ましく思わない理由の候補として可能性のあるものについて考察していきたいと思います。
・違法行為に使われているからという理由
これははじめにご紹介したクルーグマン氏の主張と同じ理由で、人々がBitcoinを使用するのは、通常の決済システムを経由せずに支払いをすることで監視の目から逃れられるから、という主張に基づいた理由です。
この理由をさらに紐解いていくと、Bitcoinは法の支配を覆しかねない存在である、という考え方にたどりつきます。経済学者というのはかなり保守的で、法の支配を好む傾向があります。
しかし、経済学者が法の支配を好む立場をとっているのは奇妙でもあります。というのも、経済学者たちは、法の支配が市場原理より優勢となりうるのかという点に関してはかなり懐疑的だからです。
法律を制定するという行為は、特定の活動にかかるコストを引き上げます。そうすると今度は上がったコストを下げようとするインセンティブが生まれます。このような観点から見ると、Bitcoinはそれこそ「法外なほど」画期的な存在です。
Bitcoinはたしかに法外的な存在ですが、同時に十分理解できて納得のいくものでもあります。納得いくどころか、求められている目的や役割を果たせているということであれば、これ以上ないくらい素晴らしいものです。
考えてみてください。法律による裏付けなくして支払いを実行できて、しかもその支払いをデジタルで行うことができる、というのは並大抵ではありません。
ところがこのような利便性とは裏腹に、実はBitcoinはそういった支払いには不向きです。第一変動が激しいため、Bitcoinによる支払いなど一般の人にとってはもちろん、犯罪者にすら好まれません。
たしかにゴールドよりは便利ですが、ドルよりいいかと言われたらそうでもありません。また、Bitcoinを受け取った場合でもゴールドを受け取った場合でもいずれにしても、何かを買ったり支払ったりするためにはいったん別の資産に変換しなければならないという問題が生じます。
最後に、広く知られていることではありますが、Bitcoin(の記録)はすべて「公開」されています。 公開されているということは、法執行機関は十分な情報さえあれば支払いを追跡することができるということです。支払いの完全な追跡など昔は夢物語でした。記録が「公開されない」支払い手段の方が、この点においては脆弱性があると言えるでしょう。
まとめると、「Bitcoinは違法行為に使われている」という理論は、筋の通った一説というよりは、Bitcoinを重要視していない経済学者たちによる考え方であると分類した方がよさそうです。
・バブルあるいはポンジ・スキームであるという理由
この理由に対する反駁は難しいようですが、Bitcoinは単にBitcoinでしかない、としかいいようがありません。それ以上でも以下でもありません。Bitcoinに価値があるのであれば、それは人々が価値を見出しているからにほかなりません。
要するに、お金と一緒なのです。ケインズがお金について述べた有名な文を紹介します。
(お金は)貨幣としての役割を果たすことで、自らは実質的な対象となることなしに取引行為を円滑にする。この点において、貨幣とは意義や実質的な影響を持たない便利なものである。また、貨幣は富の貯蔵手段でもある。
お金は富の貯蔵手段だと、人々は真顔で口にする。ところが古典派経済の世界では、富の貯蔵としてのお金など狂気の沙汰である。なぜなら富の貯蔵手段としてのお金は不毛だからである。逆にお金以外の富の貯蔵手段であれば何でも、何らかの形で利子や利益を生み出す。
では、狂気を抱えているわけでもないのに、人は一体全体なぜ貨幣を使って蓄財しようとするのだろうか。人が貨幣を用いて蓄財したがるのには、理性的かつ本能的な理由がある。貨幣を蓄えたいという願望は、自分自身の将来予測などに対する不安を表すバロメーターである。お金に関するこのような願望というのは習慣的なもの、あるいは本能的なものである。この願望自体は直感的で習慣的なものでありながら、我々の意欲のより深い層で作用していて、より表層的で不安定な習慣の方が揺らいだその瞬間に頭角を表して主導権を握るようになる。実体的な貨幣の所有によって人の不安感は緩和される。したがって、人に貨幣を手放させるのに必要なプレミアム(割増料金)の高さというのは、人の抱えている不安感の程度を反映しているのである。
(ケインズ、1937年 一部加筆修正)
このような点においてBitcoinのもつ性質はお金と非常に似通っています。ただ異なるのは、政府が発行したお金というのは、政府の課す税金の支払いに使用できるという点です。つまり政府が税金の支払いに法定通貨を要求している限りは、納税期日に自分の財布の中に必ず十分な法定通貨の用意をしておかなければならないというわけです。
しかし、税金を払うために法定通貨を使う必要があるというのはどうも、犬が自分よりも大きな存在に対して尻尾を振っているような感じが否めません。
税金支払いに使えるか否かというのはたしかに大きな相違点には違いありませんが、この相違点は果たして、だからお金(法定通貨)はポンジスキームではないがBitcoinはポンジスキームである、と言い切る根拠となるほどの相違点なのでしょうか。これは非常に難しい問いなので、今後執筆する記事の中でもさらに議論していく必要がありそうです。
・資源の浪費であるという理由
経済学者が嫌がることといえば資源の浪費です。資源の消費に関していうと、Bitcoinはわりかし規模のある国の消費電力に匹敵するほどの電力を消費しています。具体的にいうと、スウェーデンくらいの規模の国で使われているくらいの電力を消費しているのです。
ただ、「スウェーデンくらいの電力を消費しているモノ」は何もBitcoinだけではありません。勘のいい方ならもうお気づきかもしれませんが、もちろんスウェーデンだって同等の電力を消費しているのです。しかし経済学者たちがスウェーデンを嫌っているかというと、そうではありません。今まで登場してきた経済学者たちの多くはむしろ皆スウェーデンが大好きなようです。
同じ電力消費なのになぜスウェーデンはよくてBitcoinはだめなのか。それは、経済学者が資源の浪費について語る時というのは必ず、資源が何に使われているのかということも考慮した上で話をしているからです。
つまり経済学者たちによる「Bitcoinによる電力消費は資源浪費である」という主張は、Bitcoinは(スウェーデンと違って)何の価値も生み出していない、という考え方に基づいているということです。
ところが、経済学者たちによって導き出されたこの結論というのは実に非経済的です。なぜなら、そもそもBitcoinを支えている電力は何もただで使われているわけではなく経済的な対価が支払われているからです。
しかもその対価を支払っているのは政府ではありません。対価が政府によって支払われることも潜在的な浪費となる可能性があるため、一部の経済学者から反感を買います。しかしBitcoinの消費する電力にかかる対価は、市場で自由意志に基づいて行動している人々によってまかなわれています。
たとえこれらの人々がBitcoinを違法行為に使っていようがネズミ講でだましとられていようが関係はありません。ここで大切なのは、Bitcoinがどのような用途に使われていようが、消費されている資源への対価は支払われているということです。
用途の善い悪いについては我々の評価するところではありません。経済学者たちはBitcoin以外のものに関しては、少なくとも専門家としての立場からは、善い悪いという尺度での判断は下しません。ところがなぜかBitcoinになると急に、他のものと何ら変わらない普通の市場取引であるにもかかわらず浪費だと言われるのです。
・Bitcoinだけが市場の失敗なのか
経済学者にとって事物が浪費であるかどうかを判断する基準となっているのは、市場における失敗が発生しているかどうかということです。
Bitcoinに関して経済学者たちに問い詰めると皆、消費している電力に対して適正な対価が支払われていない、本来必要な分よりも安くなりすぎている、という認識です。なぜこうなってしまうのか。これはBitcoinによる電力消費が環境破壊につながっているとされているためで、公害や環境破壊というのは市場の失敗の典型的な例だからです。
しかしこの捉え方には欠陥があります。電力消費が環境破壊を招いているという主張自体は間違っているというわけではありませんが、Bitcoinだけを特別視しているというところに問題があります。つまり、Bitcoinによる電力消費が環境破壊を招いているがゆえに市場の失敗であるならば、たとえば冷蔵庫による電力消費も同じだということです。この両者のうちBitcoinがより悪いと言い切ってもいいのでしょうか。
個人的には、Bitcoinの根底にはたしかに市場の失敗があるとは思います。しかし私の知る限りでは、この根底にある失敗について話している経済学者はいません。また、この問題は残念ながら説明するのが多少複雑なので、これも誰も取り上げていない理由です。
当該問題についてここで説明しようとするとこの記事の長さが許容範囲を超えて長くなりすぎてしまうため他の記事で取り上げますので、そちらにもぜひご期待ください。
まとめ
本記事の結論としては、多くの経済学者たちはBitcoinに対して好意的ではないものの、彼らの主張はいささか弱いということです。どの主張も何らかの政策介入を支えられるほど堅固ではないというのはたしかです。
また、Bitcoinの登場から13年ほどが経過した今でも、大半の経済学者たちはBitcoinを余興程度のものだと考えているようです。つまり彼らはBitcoinを好んでこそいないものの、それほど心配しているわけでもないということです。
しかし個人的には、Bitcoinをめぐる論点というのは本記事で紹介してきた経済学者たちの一般論よりも幅広く奥深いと思っていますので、今後の記事の中でももっと取り上げていければと思っています。
翻訳: Nen Nishihara
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