Bitcoinをはじめとする暗号通貨の界隈はわずか10年ほどで目覚ましい発展を遂げました。しかしそんな界隈も始まったばかりの頃はささやかなもので、一部の技術者たちや熱心な愛好者しかいない空間でした。当時から界隈にいた人たちは何を思ってそこに参加し、留まり続けたのでしょうか。また、今はどうしているのでしょうか。今回は暗号通貨の黎明期から最近までの発展、それから初期のビットコイナーたちの功績や現在の状況などにせまります。ぜひご覧ください。
本記事は、 Pavle Marinkovic氏の「The Earliest Bitcoiners: Where Are They Now?」の内容を日本語へ翻訳し掲載したものです。原文の英語版はこちらをご覧ください。
暗号通貨あるある「もしもあの頃ああしていれば」論
我々はBitcoinなどの暗号通貨に関して「2011年にたった100ドルでも投資しておけば今頃は億万長者だった」というような言葉をよく聞きますが、こういった言葉によって自分がどれだけ損をしたかを知るのは嫌なものです。
しかしその一方で、自分が被った損失を知ることで目覚めることができるという場合もあります。特にBitcoinの大幅下落場面に対する考え方なんかも変わってきたりするかもしれません。
現時点でとれる対策をとれば、また10年後同じような「もしも…」という言葉を聞かなくても済みます。そのためにも、初期のビットコイナーたちから学び、未来をより明確に思い描けるようにするのがいいでしょう。
暗号通貨界隈の今と昔
暗号通貨のコミュニティーというのは、今に至るまで数々の異なる段階を経てきました。コミュニティーの様相は、一握りの技術オタクたちがオンライン会合を開いていた黎明期を経て、今や個人投資家や機関投資家たちが大規模なイベントを開催するまでになり、時代を通して劇的に変化しました。たった数年の間に暗号通貨界隈がどれだけの進化を遂げたか、以下で詳しくみていきたいと思います。
黎明期(2009年頃〜2013年頃)
暗号通貨は素人じみた未熟なものとして始まりましたが、同時にとても刺激的なものでした。
2011年に開催された初のBitcoinのカンファレンスとワールドエキスポは、今となっては悪名高いあのマウントゴックス社がスポンサーをつとめましたが、新産業がいよいよ始まるというワクワク感や興奮をすべて備えたイベントでした。技術者や愛好者たちが控え目なオフィスのような空間に集い、新しい世界の可能性について語り合ったのです。
当時のカンファレンスの様子から、この新産業がまさか数年後にこれほど巨大なものになるとは、一体誰が予想できたでしょうか。
初のカンファレンスが行われて以降は、数ヶ月のうちに複数のカンファレンスが開催され、もともとBitcoinのコミュニティーにいた人以外も参加するようになりました。その中には、フリーソフトウェアの提唱者のリチャード・ストールマン氏や、3D銃印刷プロジェクト「Defense Distributed」のリーダーのコーディ・ウィルソン氏など、より自由で非中央集権的な考え方を広める活動家たちもいました。
初のカンファレンスから2年が経った2013年、アメリカのサンノゼで開催されたBitcoinカンファレンスには1000人以上集まりました。
集まった人々の中にはたとえば、Bitcoin財団の当時のチーフサイエンティストをつとめ、Bitcoinのコードの主要な開発にも携わったギャヴィン・アンドレセン氏や、Facebookの元祖とも言われているConnectUの創設者で取引所Geminiの保有者でもあるウィンクルボス兄弟、それから『The Internet of Money』や『Mastering Bitcoin』といったベストセラーの執筆者で、Bitcoinの長年の支持者の1人でもあるアンドレアス・M. アントノプロス氏など、とても興味深い話をする講演者もたくさんいました。
そしてその同じ年にBitcoinをめぐる誇大広告というのが出てきて、それは当時の価格にも反映されました。Bitcoinは13ドルから1100ドルという脅威的な上昇を見せ、時価総額ははじめて10億ドルを超えました。
暗号通貨界隈はまさに活気に満ち溢れていました。たとえば、当時サンノゼで開催されたカンファレンスのブースを回ったりすれば、きっと後に一財産築くことになった参加者たちと会うことができるでしょう。
その中には、2013年に操業開始した取引所Krakenの共同創設者で純資産5億ドルというジェシー・パウエル氏や、Ethereumの共同創設者で推定16億ドルの純資産を持つヴィタリック・ブテリン氏(相場の暴落後、彼の保有する355,000ETHは約4億2千万ドルになったといわれている)、Bitcoinの初期開発者の一人で、サトシ・ナカモトとやりとりをした数少ない人物だと言われているマイク・ハーン氏(2016年に自身の保有していた32,000BTCを売却。その時点での推定純資産は3500万ドル)、それから先ほども出てきたウィンクルボス兄弟(純資産は64億ドル)などがいます。
早々に売却した人もいれば、まだまだ多額を投資している人もいます。しかし最も重要なのは、人々が長年にわたってなんらかの形でBitcoinと付き合い続けているという点だと思います。
初期のビットコイナーたち紹介
それではここから、早い時期にBitcoinに関わっていた人たちについてもう少し深く掘り下げていきます。
ギャヴィン・アンドレセン氏
ギャビン・アンドレセン氏は2010年からBitcoinに関わりはじめました。そしてその後サトシ・ナカモトが身を引いて人々の記憶からもだんだん薄れていった際、アンドレセン氏はプロジェクトの責任者となりました。このような経歴からも、サトシの右腕とも呼ぶべき存在ではないでしょうか。
彼はプロジェクトに参加した当初、50ドルで1万BTCを購入していわゆるBitcoinのゲームに参戦しました。そしてそこからすぐに、プロジェクトにのめり込んでいくようになったのです。
アンドレセン氏は、Bitcoinのプレゼントキャンペーンを行う最初のウェブサイトを立ち上げました。これは簡単な作業をするだけで最大5BTCがもらえるというものだったのですが、最終的にはこのウェブサイトを通して累計19,700BTCがプレゼントされました。今となってはなかなか想像し難いことです。
しかし、Bitcoinがまだ無名だったころのことを考えると、一体どうやって人々を引き入れることができたのでしょうか。その答えは、BTCをエアドロップして人々の手に渡るようにすることでした。
アンドレセン氏はBitcoin Fausetというプログラムを通して、人々にただでBTCを配ったのです。
アンドレセン氏は他にも、Bitcoin財団を設立したり、Bitcoin交換サービス「ClearCoin」を手がけたという功績もあります。
しかし彼の仕事の根幹的な部分はやはり何と言っても、Bitcoinのコードを書き直したことです。設計上の欠陥(冗長な箇所、バグ、セキュリティー上の問題など)が多かったコードを改善した結果、bit2meacademyの説明するところによれば、「オリジナルのナカモトコードの3分の1も残っていない」ということです。
しかし、時間が経つにつれてさまざまな技術的な問題(歓迎されないブロックサイズの増加)や政治的な問題(クレイグ・スティーブン・ライト氏がサトシ・ナカモトであるという根拠のない主張など)が出てきたことで、アンドレセン氏はプロジェクトから距離を置くようになりました。そして現在は、GrapheneプロトコルやBitcoin Cashの開発支援など、他の暗号プロジェクトにも携わるようになりました。
マルティ・マルミ氏(Marti Malmi)
マルティ・マルミ氏もまた、Bitcoinのアーリーアダプターの一人でかつ初期段階の開発にも携わっていた人物です。彼はサトシ・ナカモトに直接プロジェクトに参加する許可を得て、Bitcoinの第2版を世に送りだすことに協力したとも言われています。彼が開発に貢献した機能には、たとえば次のようなものがあります。
- Linuxのサポートを追加(元々Windowsでコード化されていたため)
- 初のBitcoinコミュニティフォーラムを作成(後にBitcoinTalkとして知られる)
- 初のBitcoin取引所(NewLibertyStandardと呼ばれる)と第一世代の取引所(bitcoinexchange.com、eurobtc.com)の創設支援
マルティ・マルミ氏は初期からマイニングもしていて2009年から2011年の間に5万BTCを蓄えることができましたが、2012年以前に自分のBitcoinを売却しています。売却されたものを最近の価値に換算すると、だいたい12億ドルくらいあったでしょうか。
彼は現在フィンランドに住んでおり、手元にあったはずの多額のBitcoinは手放してしまいましたが、分散型ウェブのさらなる発展に尽力しています。まだいくらかBTCの蓄えを残してはいるものの、マルティ・マルミ氏曰く、「よい人生を送るために金持ちになる必要はない」とのことです。これは人生の指針としたい言葉です。
チャーリー・シュレム氏(Charlie Shrem)
チャーリー・シュレム氏は2011年にBitInstantというスタートアップを立ち上げ、ユーザーがBitcoinを以前よりも速くそして安全に取得できるようにしました。
BitInstantは立ち上げからわずか3ヶ月で50万ドル以上の取引を処理するようになりました。それまで数日〜数週間かかっていたような処理が、わずか数分でできるように短縮されたのです。BitInstantは当時の2大取引所であるTradehillとMt.Goxとも緊密に連携していました。
また、シュレム氏はBitcoin財団の創設に携わった1人でもあり、Bitcoinの情報を広めるためのカンファレンスの開催に貢献しました。
シュレム氏は闇サイト「シルクロード」へのBTCの取引に間接的に関与したという容疑で2年間刑務所に入りましたが、その後も変わらずBitcoinと暗号通貨の擁護者を続けています。
彼は他にもいくつかの訴訟など様々な困難に直面しましたが、それにもかかわらず暗号通貨に対する情熱を持ち続け、自身のポッドキャスト番組「Untold Stories」やその他暗号通貨関連イベントのスピーカーとして非常に積極的に活動しています。
今日のクリプト(2021年〜2022年)
今やWeb3やメタバースといったものが世界の一部になろうとしている時代ですが、10年前にこれを予測できた人はいるでしょうか。また、将来はDefiやNFTのコンベンションが行われるようになるということを当時一体誰が予想できたでしょうか。
要するに、未来を予測するのは非常に難しいということです。たった数年の間に何がどう変わるか、想像することもできなくなってきました。
アメリカのオースティンやマイアミで開かれているDCentralのようなコンベンションでは新しい経済に対応するためのNFTスタートアップや暗号通貨プロジェクトが何百件も紹介されています。
こういったコンベンションでは、たとえばその場で購入できるNFTが映された大型のスクリーンを見ている人もいれば、会場で写真を撮影したりして見て回っている人なんかもいます。まったくもって不思議な世界です。
初期の頃に開催されていたカンファレンスというのは主にBitcoinにフォーカスしていました。したがってそこから考えると、暗号通貨コミュニティーがいかに大きな発展を遂げたかがわかると思います。
初めの頃はそれこそ技術オタクの人たち、プログラマーたち、それから仮想通貨に信仰を寄せる人たちが社会の中でささやかな居場所を見つけようとしてできたような空間でした。それが今では、クリエイター、アーティスト、個人投資家、機関投資家といった多くの人々を巻き込んだ空間にまで成長しました。ここからさらに10年たったらこの空間は一体どうなっているのでしょうか。非常に楽しみです。
まとめ
この界隈に早いうちから参加するというのはある程度のリスクもついてくる選択です。それでも、今回の記事でご紹介してきた人たちのように界隈が今日のような市場に成長する前からそこにいた人々がいます。
早くから界隈にいた人たちは何度も浮き沈みの波を経験しながらも界隈に留まり続けました。今日の我々もそのような波のうちの1つをまさに経験しているところです。もしもこの波を乗りこなすことができれば、より高みへといけるはずです。タイミングを逃さずに行きたいものです。
最後になりましたが、この記事は情報提供のみを目的としており、金融に関するアドバイスではありません。重要な財務上の決定をする前には専門家に相談するようにしましょう。
翻訳: Nen Nishihara
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