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1970年代のオイルショックから今何が学べるか〜現状の危機はオイルショックの再来か〜

ウクライナでの戦争は1973年の中東戦争の時と同じようにエネルギー価格を高騰させています。今回の記事では、1973年のオイルショックの背景や意味合いを深掘りしつつ、現在のエネルギー危機との比較も行っています。1970年代頃の各国の立ち位置や勢力図はどうなっていたのでしょうか。また、オイルショックと現在のエネルギー危機の似ている点や異なる点はどういったところでしょうか。ぜひご覧ください。

本記事は、Indrajit Samarajiva氏の「What The 1970s Oil Shock Can Tell Us About Today」の内容を日本語へ翻訳し掲載したものです。原文の英語版はこちらをご覧ください。

現代は1970年の再来か 

現在の状況は1970年代と似ているように思えます。燃料価格は上昇し、第三世界は苦労していて、バンドのシルクソニックが再びベルボトムデザインのズボンを履いて活躍しているような時代です。

ウクライナでの戦争は、ちょうど1973年の中東戦争の時と同じようにエネルギー価格を高騰させることとなりました。そして西側諸国は制裁で自分たちの首をしめる事態となっています。名歌手シャーリー・バッシーさんの言葉を借りると、これはまさに「ちょっとした歴史の繰り返し」なのです。

そこで、まずは歴史にまつわる文章をご紹介したいと思います。以下より文中で『Oil Shock: The 1973 Crisis And Its Economic Legacy』(Elisabetta Bini, Giuliano Garavini, Federico Romero 編)からの抜粋を随所で扱っています。

1970年代の石油危機の意味合いとは

(抜粋箇所訳)
Fiona Venn氏は1973年のエネルギー危機について、「政治的危機」と「経済的危機」という2つの「異なるが相互に関連した危機」から構成されると述べた。政治的危機とは、第一次中東戦争に端を発した6ヶ月間にわたる石油の禁輸措置である。経済危機とは、1971年からはじまった石油合意の再協議に関連したもので、これにより産油諸国の受け取る石油価格が引き上げられることとなった。1974年までにほとんどの産油国はparticipation(参加型=欧米の石油会社が利権を譲り受け、経営権を保持するもの)から100%のnationalization(国有型=国が石油の所有権や支配権を完全に手に入れること)に移行しはじめた。


上記の通り、Fiona Venn氏は石油危機について、「政治的」危機と「経済的」危機という、2つの「異なるが相互に関連した危機」から構成される、と述べています。このうちの政治的危機というのは1973年にアラブ諸国の産油国が石油禁輸措置を宣言したことを指していますが、この措置が可能だったのは産油国が何年も前から天然資源を国有化していたからです。

Christopher R.W. Dietrich氏は産油国の動向と原油価格の動きについて「OPECは多国籍企業から価格と生産の支配権を奪うための大々的かつ長期的な活動を過去約5年間にわたって展開してきた。原油の名目公示価格は1970年9月から1973年9月にかけてすでに1.80ドルから3.07ドルにまで上昇し、史上最大の持続的な価格上昇となっていた。」と説明しています。

このような背景もあって、世界では政治的圧力が爆発する前に経済的圧力が高まっている状態でした。

元イラン国王も「我々の原油を買い石油化学製品を精製し、それを100倍の値段で売りつけてくる人々によって石油化学製品の価格は高騰した。我々はすべてのものに対して不当なほど高い値段を支払うことになった。公平を期すために我々も、石油の値段を高くするのが当然である。」という言葉をのこしています。

西側が石油「危機」と称しているものは、さまざまな意味で誇り高き脱植民地化の瞬間だったのです。つまり、イラクからベネズエラにいたるまでの国々の政府が、自国の天然資源に対する主権を取り戻したのです。

『Oil Shock: The 1973 Crisis And Its Economic Legacy』の編集者たちも書いているように、「石油ショックは多くの産油国にとって植民地主義の終焉と国際経済への完全加盟を意味しており、多くの場合、ショックどころかまったく危機として認識されていなかった。」ということです。

このような描写からもわかる通り、石油危機は一部の国々にとってはよいものでした。しかしそれ以外の人々にとって、とりわけ南部の植民地世界に住む人々にとっては最悪の出来事でした。

たとえばWilliam Glenn Gray氏は「石油の新たな価格水準は西欧工業諸国に苦難をもたらし、世界の最貧国に大きな打撃、災難をもたらすこととなった。しかしそれにもかかわらず、産油国は自分たちが使えるのよりも遥かに多くのお金を受け取っていた。」と述べています。

William Glenn Gray氏は以下のように続けています。

「OPEC加盟諸国は1974年だけで600億ドルにものぼる黒字、そして途上国は90億ドルの赤字を生み出すこととなるだろう。世界経済に、特に貧しい国々に不幸をもたらした石油生産国の無責任さを、あの時我々はもっと強く非難すべきだったのではないだろうか。」

1970年代のスリランカではエネルギーと食糧不足が深刻で、その責任は当時の社会主義政府にあるとされていました。しかしエネルギーと食糧不足というのは実は当時の世界的な傾向で、世界中の政府が不安定な時期でした。

だからこそオイルショックが起きてしまったのです。この危機の中、産油諸国は自分たちのぶんのわけ前を確保することができました。しかし世界全体にとっては不公平な状況となってしまったのです。このことについては後の方でより詳しく論じています。

帝国主義国家の逆襲、産油国とそれ以外の途上国

石油資源を国有化して産油国どうしでカルテルを結成することで、産油諸国は前よりもずっと多くのお金を手にすることができるようになりました。産油諸国は自分たちが使い道がわからなくなるほどの富を手にしたのです。

もしもこれを真の脱植民地化と呼ぶのであれば、産油国の得た富が他の植民地世界にも流れ込んでいなければなりません。しかしそうはなりませんでした。カルテルからあぶれてしまった国々には、お金は入らなかったのです。

また、西側諸国は石油に対する支配力を失ったものの、その代わりにペトロダラー(オイルマネー)の支配力は維持しました。そしてそのお金のほとんどすべてが北半球で「再利用」されました。

William Glenn Gray氏はこのことについて「簡単に言うと、石油生産国は自分たちの収益を直接途上国に注ぎ込むリスクを負いたくなかった」からであると説明しています。

産油国はそれどころか「銀行預金という短期資産から中期資産である国債の購入に移行し始めた際、圧倒的な差をつけて先進国を優遇した。フランス、日本、アメリカ、そして(不賢明なことに)イギリスさえも優遇した。」と同氏は述べています。

植民地の害悪はこのようにして、1973年の抵抗によって一度は切り落とされた頭を再びもたげてくるようになったのです。産油国は自分たちの利益を得て満足したものの、帝国主義国家の世界に対する金融支配力は旧態依然どころかより強さを増すようになりました。

(抜粋箇所訳)
オイルショックの核心にあったのは、主要国が中東地域やその他の地域の資源を自由に管理することを可能としていたいわゆる「経営権制度(concession system) 」の終焉だといえる。

…工業化されていた諸国としては、国際資本主義の再出発に転換することとなった。それも今回は主要国が関わっていた植民地時代の過去の負担を持ち込まないように、グローバルな金融機関や調整メカニズムを通しての再建を目指した。

産油諸国が黒字を計上してしている間、いわゆる「南半球」の大半は欧米による悲惨な債務の罠にはまっていました。

William Glenn Gray氏も述べているように「この状況における敗者というのはグローバル化した世界のシステムにおける敗者と同じである。それはつまり、石油、食料、工業製品の価格が高騰していく中、交換できるような実質的なものを差し出すことのできない貧しい国々である。」というわけです。

(抜粋箇所訳)
OPECの産油諸国は、いわゆる「南半球」に対する自分たちの立場が微妙であることを認識していた。実際、新しい価格構造はほとんどの発展途上国の経済展望に厳しい打撃を与えることになった。そこで産油諸国は批判をかわすべく、自分たちの行動は帝国主義を掲げる西側に対する一撃であり、他の第三世界の輸出カルテルも見習うべきモデルであると宣伝することにしたのである。しかし1974年おわり頃になってくると、湾岸諸国の反帝国主義的な修辞や話術も空虚に響くようになった。一体なぜ、こんなにも大量のオイルマネーが結局は欧米の財源に再び入っていってしまったのだろうか。

反帝国主義の「手本とすべきモデル」が資源の国有化であるのに対して、南半球では正反対のことが起こりました。

貧困と負債に追い込まれた南半球の諸国は、西側の資本による略奪に対してさらなる開放を強制された結果、資源は民営化され、労働力は安くなり、西側の負債に囚われることとなってしまいました。そして多くの国が未だにそこから這い出すことができずにいます。

産油国が石油の権利を主張する一方で元帝国主義国家は依然として権力の本質であるペトロダラーを支配し、よって実権を握り続けていました。特にアメリカはペトロダラーを使って自国の軍事資金を調達し、最終的には中東の大部分を基地として占領するという完全な侵略行為を行いました。

結局OPECの最初期の加盟国である5カ国(イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、ベネズエラ)のうち2カ国は制裁を受け、1カ国は侵略され、残りの国では米軍基地を置かれて占領されるという事態になりました。もちろん石油分の報酬は受け取っているわけですが、その報酬もまた帝国貨幣であることには変わりありません。

石油危機対応と政策の流れ 

気候変動問題は1970年にはすでに認識されていました。そしてオイルショックこそが気候変動に対処する絶好の機会でした。

ジミー・カーター大統領は、ホワイトハウスの屋根にソーラーパネルを設置しました。ところがレーガン大統領が当選すると、そのソーラーパネルを撤去してしまいました。これが当時の政策の流れを物語っています。

Tyler Priest氏は、「オイルショックで得た最大の教訓はまさに『これまでのやり方を変えてみるべし』ということだった。やり方を変えるというのほぼほぼ、違う場所でこれまでとは違うことをやってみようという意味だが、すべては同じ目的、つまりは炭化水素を追求していた。」と書いています。

産油国からの圧力への対応としては、石油の使用を減らすことでもよかったはずです。しかしそうはなりませんでした。代わりに(アメリカは)自国でより多くの石油を生産することにしたのです。

オバマ政権、トランプ政権、バイデン政権と来ましたが、この3代の政権を通して政策方向性的に一貫しているのは、めざすは「脱石油依存」ではなく「脱産油国依存」であったということです。つまり方向性としては石油からの独立をめざすのではなく、石油の自給率を上げようとしているというわけです。

(抜粋箇所訳)
北海とアラスカのノース・スロープ州の石油のおかげで、北米と西ヨーロッパの供給は柔軟性を回復し、油価への圧力は緩和され、インフレの暴走も抑制されました。このことが右翼の国家元首であるマーガレット・サッチャー氏とロナルド・レーガン氏らの政治的成功につながり、彼らの掲げる新自由主義的な市場主義の政策が下支えすることとなりました。

Tyler Priest氏は以下のように述べています。

「1973年の危機が石油会社を新しい領域や技術の最前線へと駆り立てたという直接的かつ強大な影響は否定できない。例えばメキシコ湾〜ブラジル〜西アフリカを結ぶ『ゴールデン・トライアングル』と呼ばれる領域をはじめとする沖合や深海での石油・ガスの供給拡大、北極圏の炭化水素の可能性への関心の高まり、さらには世界各地で発見されているシェールガスのとれるガス田といったさまざまな発展というのは、すべて1973年の危機への業界の技術的対応に端を発していると言える。」

これらのことを踏まえた上で、現在の化石燃料危機について考えてみましょう。人はいったん歴史を忘れると必ずまた同じ歴史を繰り返す、という言葉の通り我々はまた歴史を繰り返してしまっています。つまり、我々はこの危機にぶつかる運命だったのでしょう。

「何もかもが危機」状態に突入した2020年代と冷戦の再来

私が1970年代の石油危機について調べていたのは、実は私の国であるスリランカも当時ひどい目にあわされたという歴史があるからです。1980年代スリランカは危機対応の一環として敷かれた西側の債務の罠に完全にはまりました。そして現在はさらにひどい危機に陥っている状況です。

スリランカのペトロダラーと化石燃料は事実上枯渇してしまいました。そして国民は炊事用のガスや車用のガソリンとディーゼルのために何キロにもわたる列をつくっています。私などはもはやあきらめの境地で、基本的に自転車かバス移動です。

スリランカにおいてはもう何十年も前から債務危機に瀕していました。しかしこの度のウクライナ戦争によって引き起こされたエネルギーショックにより、今年の冬はヨーロッパ及びイギリスも壊滅的な状況に陥ることとなるでしょう。

この状況というのはまるで、イスラエル戦争の際にアラブ産油諸国が欧米を切り捨てた1970年代の石油危機の奇妙な再現劇をみているようです。

今度はアメリカによるどこからどうみても実行不可能な制裁の皺寄せがヨーロッパにいっているせいで、またもやヨーロッパが切り捨てられているというわけです。歴史は繰り返すとは本当によく言ったものです。

今回の危機で世界はまたしても痛い教訓を得ることとなりました。この教訓で、やはりどの国も再生可能エネルギーに切り替えるべきだったのかもしれない、という結論に至りそうですが実はそういうことではありません。

つまりいってしまえば我々はまたしても気候変動対策に失敗したのです。ヨーロッパは排出枠があるからと石炭をさらに燃やし、アメリカは堂々と天然資源採掘を拡大、誰も彼もが気候の「ひび割れ」を回復しようとするどころか、さらに強く叩いているのです。

ロシアは直接的に、そして中国とインドは間接的に経済自立の代わりとしてエネルギー自立を主張しています。この考え方は1970年の時にあった考え方と同じです。

ロシアはNATOを不快な白人至上主義的組織だとして真っ向から全否定しています。そして中国とインドはアメリカのいいなりになるのを拒否しています。

ウクライナの人々は、多くの第三世界の国々とともにこの渦中に巻き込まれることとなってしまいました。だからこそ今の状況はまさに冷戦の再来だといえます。「冷戦」とはいったものの渦の中心となってしまう部分は常に熱かったのです。

前回の冷戦と比べて唯一欠けているものがあるとすれば、帝国側の逆襲です。これに関しては今回は起こり得ないと考えています。

アメリカを筆頭とする白人の帝国は今やはるかに弱い立場にあります。産業は衰退し、個人と国の借金が膨らみ、基軸通貨の地位の行き過ぎた濫用でもはや誰も信用しなくなってしまいました。一方で中国、ロシア、インドは1970年代のOPECのような小国で工業化されていない国ではありません。これらの国々は天然資源だけではなく生産手段ももっていて、互いにも、そして世界ともつながっています。


これらの国々は何も積極的にペトロダラーから抜け出そうとしているわけではありません。ところがアメリカ人による愚かな行為が彼らをそうせざるを得ない状況にしているのです。したがってインドはルーブルで石油を購入してヨーロッパ諸国に転売し、サウジアラビアは人民元をもらって中国に石油を売っています。そして貧しい債務国たちもドルシステムから完全に抜け出していっています。

1970年代、帝国主義国家は石油の支配権を失ったもののその資金の支配権は維持しました。しかし今回は1970年代の時とは違って、全てを失いつつあるように見えます。その上、今はたとえ誰がこの地球の支配権をもっていると主張してたとしても、実際にはもう関係ありません。なぜなら地球そのものが制御不能になっているからです。

最後に

1970年代のオイルショックは本来、化石燃料社会や帝国資本主義からの全面的な転換を促すきっかけとなるべき出来事でした。ところがオイルショックあのデス・スター(映画『スター・ウォーズシリーズ』に登場する架空の宇宙要塞・人工天体で、一撃で惑星すら破壊可能なスーパーレーザーを搭載した衛星大の超兵器)を再建し、そしてあろうことか地球に照準を合わせて引き金を引いたのです。これはもう起きてしまった出来事です。気候の崩壊は未来の話ではなく、今まさに起こっていることです。化石燃料は長期的にみれば決して持続可能なものではありません。そして今我々はどうやらその「長期的」の限界にきてしまったようです。

翻訳: Nen Nishihara

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