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貨幣と国家の分離:Bitcoinマキシマリストとイーサリアンは共存可能か

暗号通貨の2大巨頭であるBitcoinとEthereumにはどちらも熱心な支持者やそのコミュニティーが存在します。しかし両者の間には価値観の相違があり、確執が生じることもしょっちゅうです。今回の記事はBitcoinマキシマリストたちとEthereumマキシマリストたちの価値観の違いや確執がなぜ起こるのかにスポットをあてつつ、「貨幣と国家の分離」というテーマについても詳しく書いています。

リバタリアンたちの究極の使命でもある「貨幣と国家の分離」ですが、暗号通貨次第では実現が難しい目標です。それはなぜでしょうか。また、暗号通貨どうし覇権争いをせず棲み分け・共存について考えることはできるのでしょうか。ぜひご覧ください。

本記事は、 マット・ハーダー氏(Matt Harder)の「The Separation of Money and State: Bitcoin Maximalism vs. ETH’s Ultra Sound Money」の内容を日本語へ翻訳し掲載したものです。原文の英語版はこちらをご覧ください。

本記事は「1729 Writers Cohort 2」に収録されています。他の記事はこちらから読むことができます。あわせてTwitterアカウントのチェック・フォローもぜひよろしくお願いいたします。

Bitcoinマキシマリストたち

2022年のBitcoinマキシマリズムの過激さ、猛々しさには実に目を見張るものがあります。Bitcoinマキシマリストたちは果たして滅びゆく人々なのか、あるいは未来に待っている地を揺るがすほどの文化の転換の始まりとなる人々なのか。

この辺りの疑問に関しては、マキシマリストたちの中でも特に誰に注目し、誰を信じるかによって答えが異なってくるかと思います。

Bitcoinマキシマリストたちはアルトコイン界隈全体を敵に回し、CelsiusやLunaのような詐欺に警鐘を鳴らし、そういったプロジェクトが炎上するのをみて嬉しそうに(そして大金を失った人々に対しては深刻そうな訳知り顔で頷きながら)歓声を送っています。

Bitcoinマキシマリストたちの色メガネをかけて見ると、Bitcoin以外のものはすべて詐欺であり、それらのものの価値がBitcoinに対してゼロになるのは時間の問題なのです。

(「長い時間軸で見ると、Bitcoinでないものはすべていずれゼロになる。」マイケル・セーラー氏のツイッターより)

ある時はアルトコイン界隈を敵に回し、またそうでない時はアルトコイン界隈を貶すかわりに身内で自主規制を行い度を超えている極端な仲間を追放します。彼らの中にあるヒーローを消してしまおうとする意欲というのは美徳でも指令でもなく、美徳と指令の2者の間のどこかに存在する感情です。

なんとも狂気じみたマキシマリストたちの文化ですが、私は好きです。好きであると同時に畏怖の念を抱いています。また、エンタメ性があり楽しませてくれるとも感じています。

「Bitcoinマキシマリズムは、誰も知らない世界の中では最も重要なイデオロギーである」

バーラージー・スリニヴァサン(Balaji Srinivasan)

このイデオロギーは時として非常に厄介なレベルまで激化することがあります。界隈で最も影響力を持っている人物たちのうちの1人と言ってもいいビットコイナーのニック・カーター氏(Nic Carter)は最近Bitcoinマキシマリストたちと対立しました。そんな彼は現在、マキシマリストたちの繁栄からの転落を呼びかけるようになってしまいました。

(「すべてのビットコイナーたちに、マット氏に続いてマキシマリスト教というカルトから距離を置くことをすすめます。この時点で、この哀れな妄想的なイデオロギーに関わるのはマイナスでしかありません。」ニック・カーター氏のツイッターより)

本記事ではマキシマリズムとその動機について論じます。またイーサリアムマキシマリスト(ETH Maxis)たちと彼らの持っている暗号通貨における通貨の覇権をとりたいという欲求について紹介し、ビットコインマキシマリストたちとの衝突や対立が不可避である原因を究明します。そして最後に両者の合意への道筋に関する考察を何点か述べたいと思います。

2つのコミュニティーの違い、なぜ反発しあうのか

一般的にビットコイナーは政治的な面でいうと保守的な傾向があり、対してイーサリアンは進歩的な傾向があります。

両者の持つ政治的傾向は意図的な選択というわけではありません。この傾向の違いは、Bitcoinは長い歴史を持つ貨幣理論に根ざしているのに対してEthereumはイノベーションへの野望と強く結びついているという特徴からきているものなので、選択ではなく事実に基づいた結果なのです。

Bitcoinが目指しているのはゆっくりと着実に動くこと、それから安全であることです。一方Ethereumが目指しているのは、10億の花を咲かせることができるプラットフォームとなることです。(そしてここには、たとえそのうちの数億がハッキングやバグで失われることになってもかまわないという考え方があります。)

これらの異なる文化的傾向というのは、時間を追うごとに自然と異なるタイプの人々を惹きつけます。したがってBitcoinにしろEthereumにしろ、必ずしもその暗号通貨が好きだからとか、DeFiの可能性を秘めているといった特徴から選ばれているのではなく、そのコミュニティーが好きだからという人に選ばれていることが多いのです。

Bitcoinマキシマリストの神聖なる使命、貨幣と国家の分離

「マキシマリストたちには情熱があります。情熱というのは本当に本当に重要です。情熱がどうしてこんなに重要かというと、情熱があるかないかで、安くなった時に手放すかそれとも絶対に手放さないかが違ってくるからです。情熱があるということはつまり、アイデンティティーの一番上にくるということです。アイデンティティーの一番上、それは本当に大切なもののための場所です。自分のプロフィールの1行目に書くということであり、自分の存在の一部として認識しているということです。」- バーラージー・スリニヴァサン



一行目に「Bitcoin」と書かれているバーラージー氏のプロフィール

では、Bitcoinマキシマリストたちをこんなにも熱心にさせているのはすばり何なのでしょうか。それは「貨幣と国家の分離」の一点に尽きると思っています。もちろん他にも、人々がBitcoinに情熱をもつ理由はいろいろあるでしょう。しかし私はこの1点に集約されていると考えています。

「きちんと説明することができれば、リバタリアン的な視点でとても魅力的だと思います。私は言葉よりもプログラミングの方が得意ですが。」

サトシ・ナカモト

Bitcoinがまだ黎明期でテレビでも取り上げられていなかった頃、コミュニティーは極めてリバタリアン的でした。世界を修正するためにBitcoinのようなものをすでに探し求めていたリバタリアンたちがいち早くBitcoinにたどりついたのです。

リバタリアンたちは独自の経済モデルを掲げ、従来のシステムについて「国家の持つ無からお金を生み出す能力というのは戦争、死、警察の軍国主義化、道徳的価値観の低下、大量投獄、医療システムの貧弱化、腐敗、そしてこれらの諸問題に対して何ひとつ変えようとしない2大政党制につながる。」と主張しています。

リバタリアニズムの政治理論の核心にあるのは、国家が持っている「無からお金を生み出す力」こそが正しい原動力を大きく歪曲させてしまうものであり、これによって豊かで自由で誠実な社会はいかようにでも変えられてしまう、究極の根源をたどると常にお金という1つの源にたどりつくという考え方です。

したがって、国家から権力を奪還することこそがリバタリアンたちにとって神聖な使命であり、人生における究極の目的なのです。これは彼らのBitcoinへの超越的な愛着をかきたてる源であり、それと同時にBitcoin以外のものに対する嫌悪の源でもあります。

彼らにとって、Bitcoin以外のものは偽りの偶像でいわゆるDINO(decentralized in name only=非中央集権とは名ばかりの存在)なのです。

「非中央集権とは名ばかりの存在」は中央銀行と渡り合えるようなネットワークもパワーも持ち合わせていないのに対し、Bitcoinだけがその能力を持っていてそして将来必ずそうなる、とマキシマリストたちは信じているのです。

ビットコイナーたちの大きな夢は、Bitcoinが米ドルに次ぐ世界の基軸通貨になることです。世界の自由、繁栄、平和を促進するこれ以上の方法はないと彼らは考えています。彼らはBitcoinが文字通り、これらの目標を実現する手段だと考えているのです。

「政府が今掌握しているものをその手から取り上げない限り、良い通貨の実現は不可能だろう。しかし政府の手から暴力的に奪うわけにはいかない。唯一何かできることがあるとすれば、ずる賢く回りくどい方法で、政府が止められないものを導入することだけだ。」

フリードリヒ・ハイエク(オーストリア学派の代表的学者)

なぜBitcoinマキシマリストとEthereumマキシマリストは相入れないのか

ツイッターでBitcoin関連の話題とEthereum関連の話題をよく追っていれば、両コミュニティーの間の確執を目にしたこともあるでしょう。Ethereumマキシマリストたちは、ETH(記事執筆時点ではBTCの時価総額の約50%)がいつかBTCの時価総額を追い抜いて、そしてそこからBTCをゼロに追い込むという偉大な「フリップニング(Flippening)」と呼ばれるシチュエーションを熱望しています。

というのも、EthereumマキシマイザーたちはBitcoinのことを愚かなブーマーコインだと思っていてブロックチェーンにとっての「ペットの石ころ(pet rock:1970年代にアメリカで流行した玩具の一つで、ごく普通の石を仮想的なペットに見立てて愛玩するというもの)」だとみなしているからです。

イーサリアンたちはBitcoinをつまらないと思っているふしがあるようです。EthereumのEVM(Ethereum Virtual Machine、すなわちETHネットワーク)は、DeFiやNFTといった数々のエキサイティングなイノベーションを可能にしました。これだけでなく100万以上ものトークンも生み出し、DAOを通じていろいろないけてるプロジェクトのために何百万ドルもの資金をまとめて調達することも可能にしました。

ところがBitcoinはというと、ただじっとしているだけで、10分おきに極めて安全で正確な通貨台帳を記帳しているだけです。Bitcoinは時計の針が刻むかの如く正確な動きをし続けるだけです。言い方を変えれば、Ethereumはさまざまなことができますが、Bitcoinは基本的にはお金を扱うだけということになります。

お金とは何か

本題からはそれてしまいますが、ここでお金とは何かということについても少し書かせてください。

お金は現代では重要人物や数字が印刷された紙の姿をしていますが、これは数千年前からある技術を現代版に落とし込んだものです。お金は物々交換から進化したもので、集団と個人の生活や社会の中でのいろいろな調整の面で計り知れないほど役に立ちました。

かつてはガラス玉や石や貝殻といったさまざまな形をとりましたが、ごく最近になって、最終的には世界各地でゴールドに収斂されたといえるでしょう。古今東西、貨幣として使用されたものはすべて少なからず貨幣的な性質を有していました。

セントルイス連邦準備銀行のホームページによると、貨幣の持つ特質は耐久性、携帯性、分割性、均一(同一)性、希少性(限定的供給)そしてもう一つ、特に強調しておきたいのが「受容性」です。

ところが問題は、Ethereumマキシマリストが「EthereumはBitcoinよりも優れた貨幣だ」と主張していることです。

「超健全な通貨」(Ultra Sound Money)、Ethereum

「暗号通貨界隈で繰り広げられている戦いは、『お金』になるための戦いである。」

デビッド・ホフマン(Banklessの創設者)

デイビッド・ホフマン氏(David Hoffman)の執筆した、「The Empire Model for Blockchains(ブロックチェーンの帝国モデル)」と題されたエッセイには、ETHは「お金」にならなければならない、スマートコントラクトのトップのプラットフォームとして君臨しているだけでは不十分である、という主張が登場します。

「金銭としての特別扱いには限りがある。特別扱いされていないものは部族的な存在に過ぎない。だからこそクリプト関連のツイッターは有害で、そして我々は皆常に戦わなければならない。なぜなら暗号通貨のネットワークにナンバーワンの座は1つしかなく、皆がその地位を狙っているからだ。」

Ethereumは本当に「お金」なのか

Bitcoinがお金であるということは疑いの余地がなく異論が見受けられない一方で、Ethereumがお金かどうかという問いをめぐってはEthereumのコミュニティー内でもかなり論争があるようです。

「Ethereumはお金ではない」と主張する​​Ethereumのデベロッパー、Vlad Zamfir氏のツイート

EthereumのデベロッパーであるVlad Zamfir氏は、「Ets isn’t money」つまり「Ethereumはお金ではない」といっています。またInvestopiaにも、「いまのところEthereumには発行上限や通貨政策の定義がない」と書かれています。

ところがそれにも関わらず、Ethereumコミュニティー内にはBitcoinに対する戦略的優位性を確保するためだけにEthereumが「お金だ」と主張するにとどまらず、「より優れたお金である」と言い張る人々がいます。

ではEthereumはこの人たちのいうようにお金なのでしょうか。ところが、著名なEthereum支持者であるCobie氏も「ether isn’t money」「Ethereumはお金ではない」といっています。

著名なEthereum支持者、Cobie氏によるツイート

Cobie氏はクリプト関連のツイッター界隈の中でも5本指に入るほどの影響力を持つ人物で、Ethereumのことをしょっちゅう絶賛しています。しかしそんなCobie氏でさえも、Ethereumは実際にはお金ではないということをかんたんに認めています。

ところがこんどは創設者であるヴィタリック・ブテリン氏がBanklessの番組に出演してEthereumをめぐる「超」健全なお金(ultrasound money)というミームがお金になるための重要な一歩である、ということについて議論を展開します。Ethereumのコミュニティーはきっとこれから自分たちでお金への道を切り開いていくことでしょう。

Ethereumのお金としての欠点

セントルイス連邦準備銀行の定義する「貨幣の持つ特質」については先ほどもご紹介しましたが、実はこの定義にはもれがあります。定義されていなかった特質が何だったのかというと、「検閲や政府による強制力に対する抵抗性」です。

なぜお金であるために検閲に対する抵抗性が必要なのか、最近の例を使って説明したいと思います。

米財務省は最近「トルネードキャッシュ」(Tornado Cash、暗号通貨取引を匿名化するためのオンチェーンアプリケーション)を制裁対象に加えました。

ことの詳細までは省きますが、私の友人でもあるJon Stokes氏が書いた説明記事から背景をかいつまんでご説明します。以下、記事からの一部抜粋です。

米国財務省の外国資産管理局(OFAC)は暗号通貨の流れを匿名化するためのオンチェーンアプリケーションであるトルネードキャッシュの制裁に動きました。

ブロックチェーン上で開発作業を行うための主要な手段となっている2大暗号インフラプロバイダー(InfuraとAlchemy)はこれを受け、関連アドレスへのアクセスを遮断しました。

ステーブルコイン「USDC」の発行元であるCircle社はTornado Cashのアドレスと関わったウォレットに保有されているコインを凍結し、移動できないようにしました。

上記のような一連の動きがクリプトのエコシステムを大きく揺るがしたといっても過言ではないでしょう。OFACは大量のアドレスを検閲しようと動き、これを受け、Ethereumの重要インフラもアクセスを遮断しました。

クリプトコミュニティーとしては、もはやこういった検閲に抵抗することさえ叶わないのだろうかと、まさに今いろいろと考えをめぐらせているところでしょう。

Ethereumのコミュニティーに(X)検閲を攻撃だと考え反撃するか、(Y)検閲を受け入れるかを問いかけるEric Wall氏のツイートと、質問に対して(X)を選ぶと答えるヴィタリック・ブテリン氏のツイート


また、投資家たちもアメリカの規制当局がEthereumのエコスステムを強制的に思うがままにすることができるということに気づきその意味を理解しつつあります。暗号通貨に非常に好意的な投資家たちについても同じことがいえるのです。

「Ethereumコミュニティのほとんどの人は妥協することなく完全な分散化を推し進める気概がないように感じる」と嘆くRyan Silkis氏のツイート

しかもここまでご紹介してきた検閲に対する脆弱性を巡るお話は、実は氷山の一角に過ぎません。

これらの問題というのはすべて、Ethereumが通称「マージ(merge)」と呼ばれる史上最大のアップグレードを推進している最中に起きています。

「マージ」というのは、プルーフ・オブ・ステーク(Proof of Stake)と呼ばれるよりESG(持続可能な世界の実現のために、企業の長期的成長に重要な環境(E)・社会(S)・カバナンス(G)の3つの観点)に適したマイニングモデルへの移行です。マージでは、コンセンサスの仕組みやプロトコルルールの設定も変更になります。

Tornado Cashのケースを目にした熱心なイーサリアンたちは、たとえば強力な国家権力が機関などの大型のプレーヤーたちに対して国家にとって有利なルールを強制する可能性がないか、そういったことを考えているのです。

マージの後にEthereumの「ビーコンチェーン(Beacon Chain)」の66%以上がOFACの規制に準拠する予定であることに対して問題提起するeylonverse X氏のツイート


Ethereumの社会的分散が不十分であることに警鐘を鳴らし、国家権力の領域に捕らえられてしまうことを危惧する同氏のツイート

国の規制下におかれているステーキングの事業体は、PoSをやめるか、規制を破るか、あるいはトップダウンのフォークによる顧客喪失と資金流失を選ぶかのいずれかの道しかないというDylan LeClair氏のツイート

Ethereumの将来について、最終的にはガバナンスが完全に統制され、プロトコルレベルで閉鎖的な会員制組織になり、その行く末は「ソーシャルガバナンス」であるという可能性を示唆する同氏のツイート

Ethereumは「超健全な通貨」?

そろそろ皆さんも、なぜBitcoinマキシマリストはEthereumマキシマリストと相容れないのかつかめてきたのではないでしょうか。

また、「Ethereumはお金であり、それも至上のお金である」というイーサリアンたちの主張に対してBitcoinマキシマリストたちがものすごく不満をもっているということもおわかりいただけたのではないでしょうか。

また、仮にイーサリアンたちが「フリップニング」を実現させ、個人投資家や機関投資家たちにEthereumは紛れもなく「お金」であると納得させることができたとします。そうすると、「貨幣と国家の分離」は失敗に終わってしまったということになるでしょう。この理由についても、検閲や規制に対する脆弱性のお話しの中で説明しました。

まとめと「妥協点」の模索

Bitcoinマキシマリストの中にはEthereumを軽視している人もいますが、私自身は別にそういう考え方を持っているというわけではありません。Ethereumには存在する権利、いろいろと実験して新しいものを生み出す権利があると思っています。

私は心も頭も(そして財布も)Bitcoinの大義に賛同しています。しかしだからといって、Ethereumをわざわざけなしたり毛嫌いしたりする必要はないと思うのです。

Bitcoinの方は自分のレーンからはみ出したりすることなく、Ethereumのためのスペースを十分に残していると思います。したがって私としては、いがみあいの責任はどちらかといえばEthereumマキシマリストたちの方にあるのではないかと考えています。

イーサリアンたちは、Bitcoinにスマートコントラクトを持ち込もうとする試みを拒否する傾向があります。Bitcoinに対する下剋上のために際限なく成長を追求するあまり、ますますEthereum中心になっていってしまっているのです。

このとめどない欲求は先にも論じてきた通り、おそらく皆にとって不利益をもたらすだろうと思うのです。

最後になりましたが、ARKのアナリストであるFrank Downing氏がAnthony Pompliano氏のポッドキャスト番組「Pomp Podcast」に出演した際のインタビューをご紹介して終わろうと思います。

とても長いのですが、異なる資産をどのように捉え、それぞれをどう評価すべきかを見事にまとめているものです。多くの人がこの考え方に賛同できれば、たとえいがみあっているもの同士でも共存することを学び、争いに多くのエネルギーを費やさなくてもよくなるかもしれません。

今日の市場は暗号通貨だけのものではありません。そしてさまざまな種類の暗号通貨がありますが、それらはどう考えても同じ次元で競い合っているわけではないと思います。

パブリックブロックチェーンイノベーションの市場に着目すると、3つの革命が並行して起きていることがわかります。

まず1つめは金融の政策面における革命です。これはお金の革命で、ブロックチェーンインフラの適用の原点にして頂点といえるものでしょう。この革命とはまさにBitcoinのことであり、政府が発行する貨幣を駆逐する自己主権型の貨幣のことです。この自己主権型の貨幣は連邦準備制度にとってかわるもので、従来型の国際決済のルールを書き換えるものです。

2018年以降になると、上記の革命に加えて2つめの革命が起こりました。我々はこの新しい革命を金融・インターネットの革命に分類しました。この2つめの革命というのはDeFiなどのスマートコントラクトを中心に構築されたイノベーションが、従来の金融仲介機関にとってかわる革命です。

そして3つめの革命は、Web3と広範なユーザー所有型のインターネットが従来のWeb2の仲介者たちにとってかわるという革命です。

以上3種類の革命を挙げましたが、これらの革命はすべてパブリックブロックチェーンのインフラの基本基盤に並行して発展できる余地があると我々は信じています。ただしこれらの革命がどのレーンで競合するかによって、それぞれ異なる重要ポイントやトレードオフがあるのでそれらをしっかりと認識することが重要なのです。

たとえばですが、BitcoinにはスマートコントラクトやNFTをはじめとする金融・インターネットの革命を代表するような数々の突拍子もないものを促進するという目的はありません。またBitcoinはそのようなものをサポートするべきでもないと思っています。

というのも、スマートコントラクトといったものをサポートするには究極の分散化や強固さや中立性といったBitcoinの持ち前の強みを犠牲にする必要があります。

国家というレベルで考えると、国としては、マージのような大規模なシステム移行を行っているEthereumのような通貨を国の通貨として採用するにはなかなか難しいところがあります。


つまり国家レベルで考えようとするとどうしてもBitcoinのような保守的な道をゆく必要があるのです。

ところが今日の金融・インターネット革命を見てみると、貨幣の健全性よりも技術での勝負が横行しているようです。だからこそEthereumやSolanaは技術の進歩をひたすら繰り返さなければなりません。

また、たとえばゲームに必要な超高速な低価格なトランザクションをサポートするためには、今度はネットワークの分散化をある程度犠牲にしなければなりません。

たとえばSolanaは、バリデータを走らせるのに年間数十万ドルの費用がかかります。しかしそれはSolanaがやろうとしていることをサポートするために必要なコストなのです。BitcoinにはBitcoinがやろうとしていることがありますがそれはSolanaとは違うことなので、Solanaにとって必要な対価やコストはBitcoinにとっても必要というわけではないのです。

著者紹介
マット・ハーダー氏(Matt Harder)は市民参加型のPB構想支援企業Civic Trustの経営者で、住民や市民団体、地方自治体が協力して公共事業を構築することの支援を通して都市の市民基盤の再構築を指導しています。自身も熱心なビットコイナーであるハーダー氏のツイッターもぜひチェックしてみてください。

翻訳: Nen Nishihara

免責事項】

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