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「香港という場所の利点」香港ビットコイン協会 共同創設者のレオ・ウィーズ氏へインタビュー ①

レオ・ウィーズ氏(Leo Weese)香港Bitcoin協会の共同創設者であり、香港の暗号通貨コミュニティにおいて長く活動してきました。2011年にBitcoinの仕組みに魅了され、現在は情報セキュリティ業界で働く傍らBitcoinのイベントを運営されています。今回のインタビューでは、香港の暗号通貨の現状についてお話を伺いました。是非、ご覧ください。

レオ・ウィーズ氏

インタビュー日 : 2020年8月31日

香港Bitcoin協会のはじまり 

私は、9年前に統計学を勉強するために香港に移住しました。Bitcoinの存在を初めて知ったのもこの頃です。私はBitcoinを持っていませんでしたし、ウォレットも持っていませんでした。何とかBitcoinを手に入れようとしましたが、当時の私には技術的な能力を持っておらず、2回ほど挑戦しましたが、失敗してしまいました。

香港に引っ越す前に住んでいたオーストリアのウィーンでも調べようとしましたが手に入れることはできませんでした。それでもなんだか楽しそうで、もっと話したくなるものでした。

香港留学中に、同じように暗号通貨に興味を持っている人たちに出会いました。Bitcoinについて話し合える人たちと出会うことは、難しいことではありましたが、とても価値のあることだと感じていました。

2012年の夏に香港で初めてのBitcoinのミートアップを企画した人がいました。私自身もミートアップを始めようと思っていましたが、別のチームも同じことを考えていて、先に開催していました。

当時は香港にいなかったため最初のBitcoinのミートアップには参加できませんでした。しかし、彼らに連絡を取り、「今回参加できなかったのは非常に残念だから次のイベントはいつなのか知りたい」と伝え、そして自分が第2回のBitcoin協会のミートアップを主催することになりました。前の主催者はすでに他のことを始めていて、もうイベントを続ける気はないと言っていました。

私は2012年にBitcoin協会のミートアップを引き継ぎました。2013年のバブル期には、価格爆発が起こりコミュニティが急成長しました。ここで初めてBitcoinが世界的なものとなり、かなりの波を巻き起こしました。

香港のコミュニティも、この新しい業界の成長によって、大きく変化しました。2012年~13年まで遡ってみてみると、今日までどのように発展してきたかを知ることができます。

香港の暗号通貨コミュニティの多くの人は、Bitcoinがもっと成長すると期待していたため非常に失望しました。彼らは、Bitcoinが世界を席巻することを期待していましたが、Bitcoinはその期待には応えられませんでした。

しかしながら、暗号通貨業界が確立し、今日の香港の金融界の中心的な存在になっているという事実は、大きな成果だと思います。この業界で成功した企業や個人のサクセスストーリーはたくさんあります。

法律を守るだけでは扱えない暗号通貨

2013年、Bitcoin協会の多くの人が集まり、このコミュニティをより正式で組織的なものにしたいと考えました。Bitcoin協会を、私たちの思いを統一するような共通のブランドしたいと考えたのです。

私はもう協会の会長を務めてはいませんが、現役員の3名は素晴らしい仕事をしています。彼らは現状の課題に非常に深く関わっており、新しい方向性の模索にも積極的に取り組んでいます。

香港Bitcoin協会の今日にいたるまでの発展を考えると、かなり成功していると言えるのではないでしょうか。しかし成功していると思うと同時に、暗号通貨業界の政治的側面からみると、我々はまだ末端にいるとも思います。

達成できると信じていたこと目標も、正確にはまだ成し遂げていません。例えば、政策面の変化には何も寄与できていません。我々は政策改正を通してBitcoinがもっと広く受け入れられる存在になることを望んでいました。

明確な法的ガイドラインのもとに取引所が存在することを可能にしたような政策改正は世界中で行われてきました。しかし香港では、企業が取引所を運営するにはライセンスを申請する必要があり、完全に法律に準拠している必要があります。

法律や規制を遵守するとはどういうことなのか、という点については厳密な、かつ明確な考え方があります。しかし、暗号通貨がどのように規制されるべきか、ということについては明確な考え方はありません。

法律を守り、自分たちがトラブルに巻き込まれないようにする方法は分かっています。しかしそれでも、まだ明確な法律がないため、多くの金融機関がBitocoinに対応できていません。金融機関にとっては、ただ法律を守っていればいいというわけではないのです。

香港という場所の利点

2011年の香港は、勉強するにはうってつけの場所でした。評判の良い大学がたくさんあり、交流や学術教育は主に英語で行われます。国際色豊かな街で、自分が大変歓迎されているよう感じられるおもしろい場所でした。

香港は、生活のしかたや食料品の調達を考えるような必要がなく、統計学の勉強に専念できる場所です。1年から2年だけの滞在を考えている人にとっても、香港は非常にアクセスしやすい場所だと思います。世界の他の場所は、必ずしもこのような環境というわけではありません。

香港での言葉の壁

香港では言葉の壁を克服する必要はないと思います。言葉に力を入れること自体は大変素晴らしいことだと思います。とてもやりがいのあることです。また、周りの人々やその国について、そして歴史をよりよく理解することにも役立ちます。その場所とのつながりが格段に深まりますし、その場所を自分の家にするためには必要不可欠なことなのかもしれません。

しかし、語学学習に力を入れていなかったとしても、何とかなるものです。言語に力を入れなくとも人生が制限されるとは思いませんし、実際何とかなっている人をたくさん知っています。

彼らは、広東語を一言も話せなかったり、中国語を一文字も読めないことをおかしいことだとは思っていません。彼らにとっては、南国の島のホテルにいるようなもので、香港のゲストような身分なのです。中には長期滞在者もいて、必ずしも新たな居場所を探しているわけではありません。

暗号通貨の夢と現実

2013~14年はかなりワイルドな期間でした。香港の暗号資産の世界に入ってきた人々のほとんどが夢想家でした。彼らはBitcoinに全く異なるものを見ていました。

彼らは自分たちをBitcoinersだと思っていましたが、世界をより良くするためにはどうすればいいかという、非常に大規模な考え方を持っていました。彼らは、急進的な無政府主義者や環境保護主義者、それからコミュニティ・ファイナンスやP2Pレンディングに力を入れている人たちをなどを連れてきました。

このような人々の多くは、Bitcoinの中に自分の見たいものを、何であれ見出してましたが、時が経つにつれて、Bitcoinに非常に失望するようになったのだと思います。Bitcoinは、彼らの期待や夢を満たしていなかったし、彼らの思いをかなえるのに適しているように見えなかったのです。

暗号通貨に夢を見ることは往々にして他のブロックチェーンでも起こることだと思います。Ethereumのコミュニティは夢のような雰囲気が強く、そこが私がかなり好きなところでもあります。

Bitcoinのコミュニティーでは最近は暗号署名のスキームなどを議論する傾向がありますが、一方Ethereumにおいては、世界中の様々な問題を解決するための分散型の自律組織を作ろうという話が今でも出てきています。

2015~16年の下げ相場は、2018-19年の下げ相場よりもはるかに残忍だったと思います。当時のミートアップイベントに顔を出す人たちはBitcoinに幻滅している部分がありました。多くの人が大金を失い、ビジネスが失敗に終わった人もいました。

彼らは持っていたすべてをBitcoinビジネスに投資していましたが、その後も事態は好転しませんでした。もしも2016年にBitcoin決済のスタートアップを運営していた場合、1~2年の間投資家を見つける機会もなく、資金不足に陥ることになるのです。

2015年のもう1つの話題はこの頃おこりはじめたスケーリング(拡張性)に関する論争です。Bitcoinが世界で1億人の人に広まるためにはどうすればいいのか、数学的に、そしてコンピュータ科学者の観点から、どうすれば可能なのか、といった大きな話題についての議論で、最初の分裂が見られ始めました。

私たちは2015年にBitcoin拡大ミートアップを開催しましたが、人々が望んでいたような成功にはなりませんでした。しかしそれでも私たちは多くのことを学ぶことができました。Bitcoinがどのように機能するのか、どのような特性があるかを学びました。

これらの考察の多くは、人々をBitcoinから遠ざけることにもなりました。彼らの心は楽観的な見方から、「Bitcoinは私が期待しているようなものにならないかもしれない」という非常に悲観的な見方へと変わっていきました。

インタビュー・編集: Lina Kamada

翻訳: Nen Nishihara

     

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