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「政府による合法的略奪とBitcoinの競争力」 ロバート・ブリードラブ氏 インタビュー ①

ヘッジファンド「パララックス・デジタル」のCEO兼創設者のロバート・ブリードラブ氏(Robert Breedlove)は2014年に趣味で暗号通貨への投資を始め、やがてその趣味が彼の職業に変わりました。Bitocinのボラティリティや、お金と時間との関係などについてお話をしていただきました。

インタビュー日 : 2020年12月24日

変化するBitcoinの評価

私は2014年に趣味として暗号通貨への投資をはじめました。しかし2016〜17年に入ってからはより専門的に投資を行うようになりました。

その時以来、暗号通貨業界は大きく成熟し、大規模な金融機関が次々と暗号通貨のシステムに統合されていくのを目の当たりにするようになりました。

2014年~2016年頃まで、Bitcoinは多くの人に悪ふざけや詐欺だと思われていました。しかしそういった評価は現在ではすっかり見なくなりました。知的な投資家で、Bitcoinを詐欺やネズミ講呼ばわりするような人はもういません。

Bitcoinの価格に対しては弱気予想の人もいます。しかしBitcoinは今のところ、史上で最も普遍的かつ透明性があり、そして予測可能なお金であることは、誰の目から見ても明らかです。

ネズミ講と呼ばれたBitcoin

実際には、Bitcoinはネズミ講の真逆です。ネズミ講は、高収益率と低リスクという約束をちらつかせて投資家の無知につけこみます。

リスクとリターンは表裏一体であるということを理解できない人が、高収益率低リスクという謳い文句の餌食になってしまうというわけです。これがネズミ講の手口です。

Bitcoinはこの真逆です。収益率も利回りもなく、リスクは極めて高い。おそらく世界で最もボラティリティが高い資産の部類に入ります。

Bitcoinは投資家の無知につけこむのではなく、それ自体の機能について、そして暗号通貨について、もっと理解するように投資家に働きかけるのです。

お金とは何か、政府とは何か、社会はなぜこのような仕組みになっているのか、といった基本原理をBitcoinは問います。これらの疑問の探求の沼に陥ることを人々はよく「Bitcoinのウサギの穴に落ちる」と表現します。

Bitcoinとの関わり合いの中から、より深い疑問、探求、解明が生まれます。このBitcoinの扉を開けようとすることは、まさにネズミ講の真逆なのです。世界中の人が今、このことに気づきつつあると思います。

なぜBitcoinはボラティリティが高いのか

ボラティリティ(価格変動)は自然な機能で、市場における価格発見機能のために働きます。市場における買い手と売り手が少ない資産の場合、スプレッドは大きくなります。そして市場、資産の規模が小さいほど、ボラティリティが高くなる傾向があります。

このことをふまえると、BitcoinはAmazonの株と似たような道をたどっていると思います。2001年にITバブルが崩壊した時、Amazon株は約94%も暴落しましたが、2020年にかけて持ち直しました。

つまりAmazon株は2000年初めから2020年にかけて上昇していったわけですが、その途中では二桁の下落率を何度も経験しています。その間時価総額が大きくなるにつれてボラティリティは低下していきました。

ボラティリティは時価総額に反比例して動く傾向があります。Bitcoinのボラティリティも時価総額が大きくなるにつれて低下しており、この傾向は今後も続くと予想されています。

しかし面白いのは、現在Bitcoinは究極のリスクオン資産(好景気でリターンを追求しやすい相場状況の時に買われる資産)の一つと考えられているということです。つまり投資家たちは自分のポートフォリオの中で、リスクをとりリターンを追求する部分として、Bitcoinを保有しているのです。

ところがBitcoinの本来の狙いは、価値保存手段としていつかゴールドにも取って代われるほど安全な、究極のリスクオフ資産(リスクを回避したい相場状況で買われるより安全な資産)なのです。ここが非常に面白いところです。

ゴールドに対するBitcoinの立ち位置

Bitcoinはゴールドにとって脅威となると言われています。1970年代に連邦準備銀行にいたジョン・エクスター氏が作成した、景気循環における投資価値の順位を示す逆ピラミッドを見てみましょう。図の下方にいけばいくほど、要求される信用度が低くなり(Trust-Minimized)、流動性が高く、売りやすい資産となります。

逆に言うと、図の上の方へいけばいくほど、流動性は低く、例えばデリバティブ資産のように、リスクの高い資産となります。エクスター氏の逆ピラミッドによれば今のところはゴールドが最高の資産です。しかし実は上の方にある他の資産も、より下の方へ移行する可能性があります。

このエクスター氏の逆ピラミッドで言えば、Bitcoinは今リスクオン資産のポジションにいますが、時価総額が増加するにつれ、ゴールドのいる方へ向かってどんどん下の方へと推移していきます。

そして最終的には、究極のリスクオフ資産であるゴールドを脅かす存在となっていくのです。

Bitcoinはいい意味で、究極のブラックスワン(予測できず衝撃が大きい事象)です。市場はBitcoinのことを完全に過小評価しています。

Bitcoinは誕生してからまだ12年と歴史も浅く、その技術面では未だに解明されていない部分があります。プロトコルや機能の詳細についても把握しきれていません。一方ゴールドには5000年の歴史があって、価値の貯蔵庫としての実績があるので、信用できるものだと証明済です。

市場にとっては、Bitcoinの技術の解明など、新しくでてきた情報を消化する時間が必要になります。したがって正直に言うと、Bitcoinとゴールドはまだ直接的な比較対象ではないのです。

お金の価値を左右するのは、物質的な部分ではなく情報量です。12年という時間で得られる情報はたかが知れていて、まだまだお金の王様ゴールドにかなうものではありません。

お金であるための5つの条件

お金は5つの性質を満たす必要があります。①分割可能であること、②耐久性があること、③認識可能であること、④携帯可能であること、そして⑤希少性があることです。

これらがお金の基本原則です。そしてこれらの原理をより完璧に満たしているのは、物質的なお金よりもデジタルマネーです。このことから、むしろ物質的なお金の方が、デジタルマネーよりもリスクが高いと言えます。

したがって、Bitcoinが完璧な方法で存在し機能し続けている限り、つまり2100万枚という上限を守り、10分ごとにグローバルなコンセンサスを作り出し、そしてそれを続けている限り、Bitcoinは必ずゴールドにとって脅威的な存在となるのです。

Bitcoinの競争力

将来的に登場する新技術や暗号通貨が、Bitcoinにとって脅威となる可能性があると主張している人々には反対です。そのような主張は、お金の基本原則についてよく考慮されていない主張だと思います。

お金の条件とは何か、そしてなぜBitcoinよりも優れた資産があると思うのか、まずこの2点を問いたいです。そして得られた回答が、経済学のオーストリア学派のお金に関する原理をすべて満たしていない限りは、間違っていると思います。

そしてもう1つ大事なのは、仮に市場価値の高い新しい機能をもった暗号通貨がでてきたとしても、Bitcoinは他の暗号通貨の機能も吸収できるということです。例えばEthereumといったBitcoin以外の暗号通貨が、デジタルマネーとして市場価値のある機能を備えていた場合、Bitcoinはその機能も適用できるのです。

Bitcoinはオープンソースの技術です。これはつまり、有益な変化への適応力をもっていると同時に、有害な変化に対しては抵抗力があるということです。ですので、暗号通貨市場において、Bitcoinを完全に凌ぐような差別化を図ることは非常に困難なのです。

我々に残された道は、ただ市場の流れに従うことだけです。Bitcoin市場は現在約4000億ドルだと評価されています。一般的に市場の時価総額が1000億ドルを超えてくると、勝者による総取りが起こりやすくなります。

つまり分かりやすく言えば、一人勝ちのような構図になりやすいのです。例で言うと、FacebookやApple、Amazonのような感じです。

Bitcoinのマキシマリスト

自分のことをBitcoinのマキシマリストと表現する人が多くいます。私もよく、Bitcoinのマキシマリストだと言われます。しかし信奉する原則に関して言えば、私はどちらかと言えば自分のことを、自由の原則の信奉者だと考えています。

私の信奉する原則は、どのような形でも強制や命令は決して正当化されないという考えです。つまり自然法を尊重しているということです。自然法の考え方に基づけば、我々は皆生まれた時から、生命、自由、財産に対する権利を持っています。

つまり我々は生きる権利及び、他人の自由を侵害しない限り自由に行動する権利を持っています。財産に対する権利とは、自分が自然に存在するものに対して時間をかけて付加価値をつけた場合、それを所有する権利があるということです。

たとえば穴を掘ったり道具を作ったりすれば、その建設過程に労働エネルギーを投入したことになるので、その労働に対する成果を得る権利を持っているのです。

これが私の哲学的世界観の基盤となる考え方です。そしてたまたまBitcoinが個人の自由を最大化できる最高のツールだったというわけです。

ルールが多ければいいのか

Bitcoinが唯一正しいものだと擁護したいわけではありません。Bitcoinは人類史上の1つの重要なイノベーションに過ぎません。

私もお金の歴史について学んでいるただの1人の学習者に過ぎず、「お金の果たすべき役割は何か」「今はどのような役割を果たしているのか」「競合関係にある技術にはどのようなものがあるのか」などといった疑問について、日々自問しています。

私は自分自身の自由、そして他人の自由を、最大化するべきだと深く信じています。そうした方が、社会はよりよくなれると考えています。

現状の世界では法律が多い方が良いと考えられ、法律によって過剰に支配されているので、私の考えは今の世界とは逆方向を行く考え方になります。

古代の哲学者のキケロは、法律が多ければ多いほど、正義は少なくなると言いました。つまり、社会においては最低限の自然法を維持するだけの方が、全ての人にとって最大限のいい結果が得られるということです。

そして一番大切なのは、自由こそが、あらゆる富の生みの親だということです。人々がお互いに自由に交流し、自らの労働成果に対して所有権を持ち、暴力によらない方法で紛争を解決することができれば、それは結果として富を生み出すのです

そしてこの自由であることによって可能となる一連の動きこそが、イノベーションと文明の発展を促進するのです。これはトップダウン型のシステムでは決してありえないことです。

イノベーションは決して法律によって規制できるものではありません。イノベーションと文明の発展に必要なのは、人々が自由に試行錯誤して発見にいたる、自然発生のプロセスなのです。

政府による合法的略奪

権威や政権に対しては、健全な範囲内で懐疑的に考えています。また、懐疑心を研ぎ澄ますのに役立った本も多くあります。

私のお勧めはフレデリック・バスティア氏の「法」という本です。約60ページとシンプルで短く、古典的な良書です。現在アメリカで起こっているような出来事ともとても関連性の深い内容が書かれています。

たとえば米国政府は、9000億ドル分のお金を印刷して全国民に600ドル分の経済援助を行うという発表をしました。素晴らしい政策のように聞こえます。実際に計算してみるまでは、ただでお金を受けとれる夢のような政策に思えます。

しかし実際にこの政策について考えてみると、アメリカには3億人強の人々がいるので、政府が9000億ドル分お金を印刷するということは単純計算で1人当たり約2800ドルになります。

9000億ドルお金を印刷し全国民に600ドルずつ配れば、本来国民1人当たり2800ドルもらえないと計算が合わないため、インフレ率のことを考えると、国民1人当たり逆に2200ドル分奪われてしまっているという計算になります。

つまり政府は、市場に必要な新しい資本を注きこんでいるのではなく、ドルに価値を蓄えてそれを頼りにしている底辺の人々から、新しく印刷されたお金を最初に受け取れる上層の人々へ、富を再分配しているだけなのです。これはネズミ講に他なりません。

政府が国民に配布するという600ドルの小切手を、私はリベート・チェック(返金小切手)と呼んでいます。この小切手によって米国政府は、アメリカの国民からだけでなく、国境を超えて、米ドルに価値を貯蓄しているあらゆる人からその価値を奪っているのです。そしてその奪った価値を自分たちに再分配しているのです。

これは現実的な経済政策どころか、ただ国民から略奪をしているだけです。そしてこれは今後の10〜20年の間に米ドルに対するインフレ圧としてはね返ってきて、より多くの問題を生み出すでしょう。つまり人類にとって非常に悪いことなのです。このような略奪は何があっても決して正当化されるべきではありません。

全員にとっての最大利益とは

自然法を守った上で自己の利益のために行動した人々の、自由選択によって導かれた結果こそが全員にとって最良の結果です。自然法は、非暴力、殺してはいけない、盗んではいけない、という基本的な道徳から成り立ちます。

この基本的な道徳に基づく最低限の自然法が守られていれば、1人1人の創造的衝動が最大限に発揮され、結果的に全員の利益になるのです。このようにして我々は、自分の専門に特化したり相手と交換をしたりすることによって富を生み出してきました。

人の蓄えた価値を略奪するためにお金を印刷したり、奪うために戦争をすることは間違っています。中でも一番最悪なのは、敵国家との戦争のためにお金を印刷し、自国の市民のお金から価値を奪うような行為です。しかしこれは残念なことに、多くの国の政府が歴史の中で何度も繰り返し行ってきたことでもあります。

オーストリア学派のおすすめの本

オーストリア学派について勉強するのもおすすめです。この学派は、人々から富を略奪するような国家主義的哲学を徹底的に論破する思想です。このような思想を勉強したことで、今の私の考え方が形成されています。

著名なオーストリア学派の経済学者であるマレー・ロスバードは「政府はわれわれの貨幣に何をしてきたか(What Has Government Done to Our Money)」という本を書いています。より深く勉強するのであれば、同じくロスバード著の「リバタリアン宣言」という本もおすすめです。

お金とは何か、時間とは何か

私は「Bitcoinと時間的希少性の暴君」(Bitcoin and the Tyranny of Time Scarcity)という記事を書きました。

この記事は経済学の第一原理を掘り下げ、「人はなぜ他の人と交換するのか」ということと、交換という人間の行動において「お金はどのような役割をもつのか」という2点の説明を試みるものです。

この記事のメインポイントとなってくるのは、「時は金なり」とはよく言うのに、その逆の「金は時なり」はなかなか理解されにくい、ということです。

「時は金なり」という概念については、人は直感的に理解することができます。言うまでもないことですが、自分の時間を犠牲にして働けば、その対価となるお金を得ることができるということです。

逆もまた真なので「金は時なり」ということでもあるのですが、こちらの概念についてはあまり理解されていません。

自由市場経済において、人々は自分の専門のスキルをもち、意義のある活動に従事しています。つまり、自分の時間を割いて社会にとって有益な活動をすれば、自分の時間を他人と取引・交換することができます。

そしてその取引で得た貯蓄を、ゴールドやBitcoinという形で保存しておくことができます。ゴールドやBitcoinは自由市場経済によって生み出されたお金で、このお金を使うことで、簡単には奪われない方法で時間を保存しておくことができます。

一方で、たとえば法定通貨のような、自由市場経済による産物ではなく、政府の占有物であるようなお金ではどうでしょう。政府が法定通貨を印刷すると、その法定通貨を使わざるを得ない全国民の時間が奪われてしまいます。

前に挙げた例をもう一度使うと、米国政府が9000億ドル印刷して国民に600ドル配るとすると、全国民から2200ドル分の時間を奪い取っていることになります。

この2200ドルを米国の平均時給で割ると、実際に奪われた時間がどれくらいなるか計算することができます。米国の平均時給を約12ドルとして計算してみると、米ドルのたった一回の切り下げによって、国民1人当たり183時間の時間が奪わることがわかります。

自分の時間を他人と取引・交換する目的は、生産性を高めることです。時間には希少性があるので、他人と上手くやり取りすることで時間不足を克服し、より少ない資源でより多くのことができるようにしたいのです。

時間不足とは自然に生まれた暴君です。この暴君を克服するために、人間全体の行動をうまく調整していくための大規模な制度が必要になったのです。そしてその過程で我々は皮肉にも、中央銀行という名の人為的な暴君を生み出してしまったのです。

インタビュー・編集: Lina Kamada

翻訳: Nen Nishihara

     

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