ブロックチェーン開発企業「Block Digital Corporation」の共同設立者兼研究開発部門リーダーであるサンティアゴ・ベレス氏(Santiago Velez)にインタビューしました。原子力エンジニアとしての経験をもつベレス氏は、暗号通貨の分野を、コンピューティング、経済、金融、そして人間関係の交差点だととらえています。インタビューでは暗号通貨の価値の表現手段としての側面についてお伺いしました。
インタビュー日 : 2021年2月12日
暗号通貨は工学か心理学か
暗号通貨やデジタル資産は、工学よりも人間の行動学と関わりがあると思います。デジタル資産は人間の行動を促す動機と密接に関係しているため、心理学とより深く結びついていると言えます。
工学のエンジニアたちが定義するのは動機や価値観の集合体のようなもので、組織としての人間の在り方です。これは人間の基盤ですが、その後ですべてを動かしているのは我々の行動心理です。しがたって全てはやはり人間の心理が中心だと言っていいと思います。
物の本当の価値について
我々の社会には、一般的に価値をどのようにして表すべきかという規範が存在します。この規範を究極的な形で表しているのが通貨です。
我々は社会の中で育つにつれ、食料や車や家といったものの価値を自国の通貨に換算して相対的に評価するようになっていきます。
そしてこのような考え方や基準を当たり前のこととして受け止め、ふとしたきっかけで外国を訪れたりでもしない限り、何も考えません。
ところが外国で少しの間過ごしてみると、現地の通貨で提示されているものの価値が直感的に分からなくなります。したがって買おうとしているものにどれほどの価値があるのかを理解するのに苦労するのです。
このような違和感こそが、私の考える「真実」を少しだけ垣間見せてくれるものだと思います。
BitcoinとEthereumの魅力
私ははじめBitcoinに対してそれほど興味を持っていませんでした。というのもアメリカには成熟した決済構造があるため、Bitcoinは自分には関係のないものだと思っていたからです。
アメリカの決済の仕組みは非常に整っており、ほとんどの問題は既に解決済みでした。したがって他の新たなシステムの必要性をあまり感じていなかったのです。私がBitcoinというシステムについての探求を始めたのはずっと後になってからでした。
そして最近になってやっと、Bitcoinの物語がどこへ向かっているのかが明らかになってきました。Bitcoinが今解決しようとしているのは、中央銀行が我々の集合的な購買力に対して責任を負っていないという問題です。
はじめてEthereumに触れた際、私はまだお金の本質についてよく理解していませんでした。しかしBitcoinとは明らかに何か違いがあるということだけは何となく理解していました。
Bitcoinにはできない方法でお金をプログラムできるということに気づいた時、自分の中で何かがピンと来たのを感じました。私はEthereumのもつ可能性に気づき、プログラム可能という特性を利用し分散型アプリケーションを作れるという点に大変魅力を感じました。
通貨不可知論者であること
価値表現ができる分散型のものを作り出せるというのは大変面白いことでした。おかげで私は、価値の本質とは何かを考えることにのめり込みました。
それからというものの私は通貨不可知論者(Currency Agnostic)となり、いかなる通貨も支持しなくなりました。
価値提案をするために、自分の使いたい抽象表現を選択するのは人間の権利だと思っています。ところが、この選択を唯一制約しているのが、市場における需要と供給です。
我々は未だに他の人間によって市場が定義されているコミュニティに住んでいるがゆえに、表現が制約を受けているのです。
逃れられない法定通貨のしがらみ
伝統的な価値表現手段というのは、まだまだ地理的な制約を受けています。地理的な制約を受けている価値表現手段というのはつまり法定通貨のことです。
そして我々は、たとえどんな手段の投資をして資産の価値を高めても、最終的にはその資産を法定通貨に清算する、という枠組みの中にとらわれてしまっています。
たとえば大学を卒業したばかりの人が就職し、自分の老後のために貯金を始めるとします。この場合は、老後のための資金ということを考え、時間をかけて成長するものを投資対象に選ばなくてはなりません。
老後資金を貯めるという目標をクリアするために投資対象を選ぶというのは、目的地に到達するための投資計画の列車を選んで飛び乗るようなものです。ただ問題は、資産クラスによって列車のスピードが全然違うということです。
周りの他の列車より速く進んでいる列車もあります。速い列車を選ぶと、老後という名の最終目的地に近づくにつれて「もし列車が脱線したら」「もし列車が急に止まってしまったら」という心配が次々浮かんでくるようになります。
これでは恐怖感があるので、通常は様々な資産クラスに資産を配分し分散化を図ろうとします。こうして何とか無事に目的地までたどり着こうとするのです。
ところが最終的な目的地にたどりつくと、結局は資産を法定通貨へ清算して使うという考え方から免れません。なぜなら、ありとあらゆるものは全て法定通貨建てだからです。
借金も食べ物も、その他の商品もサービスも、すべて法定通貨で買います。しがたって今のところ我々は、どんなに投資で工夫して資産価値を高めたとしても、最終的には法定通貨に清算するという精神的枠組みの中にいるのです。
価値の表現手段を選択する自由
私は個人の自由を非常に強く信じています。社会的な責任と自由という観点からも、個人は他の個人の選択に関わらず、自分の選択する方法で価値を表現できるべきだと考えています。
たとえばBitcoinを支持する人が私にBitcoinで送金したいと思っていたとしても、私が妥協してそれを受け入れなければならないという理由はどこにもありません。
私がもしもBitcoinではなくXRPやドルや円で送金を受け取りたいのであれば、このような送金をお互いの摩擦なしで達成できる、基本的なプロセスがあるべきです。互いの妥協やカウンターパーティーリスクなしの取引を可能にする市場が必要です。
また、集合的な市場を裁定者として、個人がそれぞれの価値判断で価値を表明できるようにするべきです。この境地こそが技術の提供する最終形態だと思っています。
現地通貨の枠組みから脱却
自由を得るための最も純粋な手段というのは取引所だと思います。自由な価値の表現手段を提供することが取引所の本来の役割です。
しかし問題は、多くの取引所がデジタル資産を現地通貨とペアにしてしまっているということです。これでは従来の枠組みにとらわれたままです。
たとえば日本の取引所では、まずはBTCを円に交換してから、そして円でETHを購入します。しかし一体どうしてこのような余計なステップを踏む必要があるのでしょう。
それは、サービスを提供している市場がたまたま日本だったからです。債務や義務が特定の地域に結びついているビジネスは、課された条件に従わざるを得ないからです。
一方グローバルな取引所では、余計なステップは余計な摩擦を生み、資産の価値を無駄に下げてしまうことになるため、余計なことをする必要はないと考えています。
ペアリングされた資産どうしが互いに十分な流動性さえ持っていれば、その資産どうしを交換するだけでいいのです。
セキュリティ面の妥協も、カウンターパーティーリスクの受け入れも必要ありません。交換を行うための技術スタックさえあればいいのです。
相互運用性で妥協は不要に
ボーダーレス取引は可能になると思っています。そして実は今まさにそれが起こっているということに誰も気が付いていません。
IoV(Internet of Value:価値のインターネット)の基盤となるレイヤーの技術は既にあります。例えばですが、誰かにメールプロバイダーを通じてメールを送付する場合、受け手が送り手と同じプロバイダーを使う必要はありません。
これは、インターネットの基礎層にはSMTP(Simple Mail Transfer Protocol)やTCP/IP(Transmission Control Protocol/Internet Protocol)といったプロトコル規格があるからです。
これらのプロトコル規格は情報の種類にとらわれません。2種類のネットワークが相互に通信するためのパケットを処理を行うことができるため、どちらかが妥協して変換したりする必要がないのです。
このように、インターネットの層には相互運用性があります。そしてほとんどの人が気が付かないうちに転送は既に行われているのです。
近い将来我々は、電子メールのアドレスを持つのと同じように、価値を転送するための自分だけのアドレスを持つようになるでしょう。
Web 2.0からの脱却でより民主的なインターネットへ
インフラを構築している人たちは、現在のインターネットが未完成だということに気づいています。インターネットは実は当初から「価値」という要素が抜け落ちていたのです。しがたって現在の形式に落ち着いています。
現在の形式とは、一握りの企業が情報の流れの大部分をコントロールしている状態です。そしてそのごく少数の企業だけが、情報の恩恵を受けているのです。例えばFacebookは広告価値が非常に高く、これを収益化しています。
問題は、情報の主な受益者がユーザーではなく一握りの企業となってしまっているという点です。
これに対して、Bitcoinのような価値ネットワークに参加するということは、ユーザーが直接の受益者となれるということです。
価値ネットワークへの参加とは、すなわちネットワークの一部を購入するということです。購入したトークンがネットワークのインセンティブを表しているのであれば、ネットワークの成長に伴って購入者が直接の受益者となれるというわけです。
これは、Google、Facebook、Amazonといった一握りの組織が価値の流れの主な受益者であった従来のWeb 2.0とは逆転しています。つまり、暗号通貨の分散化のおかげで、より民主的なインターネットが実現するということです。
Bitcoinの「変化しない機能」
完全に成熟した価値のインターネットは、最大公約数的な考え方ではないと考えています。つまり、全ての人に共通する価値表現のエコシステムが1つだけ存在するというわけではないのです。
様々なエコシステムがあり、それらがニッチな市場や機能のために特化し、エコシステムが超専門化していく流れになると考えています。
Bitcoinは原始的なP2P貨幣から、価値の貯蔵庫的な役割を持つ貨幣へと変化してきています。Bitcoinネットワークには、外部とのコミュニケーションも求められます。
しかしBitcoinは決して変化の激しいネットワークではありません。そして変化しない機能を持っているからこそ、その将来性に確信が持てるのです。
投資家の立場からすれば、変化の激しいネットワークに参加するということは、不確実性が高いということを意味します。Bitcoin推進派の人々はここをよく理解しています。
だからこそBitcoinのコードベースは、安定性とセキュリティを重視します。これがBitcoinネットワークへの外的価値の流入をもたらすことのできる最良の手段なのです。
大切なのは、個々のネットワークが単独で存在しているわけではなく、他のネットワークとの相互関係の中で存在しているということです。
スイッチングコストの低減
ドルのみを使用する環境で育ってきた人にとっては、Bitcoinという聞いたこともなければ理解もできないないものと交換するためにドルを手放すというのはとても恐ろしいことです。
Bitcoinがどのように使われているのかということついて、メディアで恐ろしい報道を目にすることもあるかもしれません。
しかし恐ろしい情報と同時に、Bitcoinの価格は高騰していて、だんだん安定してきている、ということも様々な情報から分かります。
人々はこれらの情報を見て、自分もその恩恵にあやかることができるのではないかと思うかもしれません。
つまり、Bitcoinと交換するためにドルを手放すのは怖いものの、ある価格帯ではモチベーションがスイッチングコストを上回るということです。そうなると、法定通貨ネットワークからの流出とBitcoinネットワークへの流入が起こります。
Bitcoinネットワークに流入した人々は、分散型ネットワークについての知識はすでに学んで得ています。Bitcoinネットワークから他の暗号ネットワークへのスイッチングコストは低くなります。
したがって、たとえばEthereumといった他の暗号通貨システムは、Bitcoinネットワークの成長の恩恵をうけるようになるのです。
暗号通貨ネットワークにおける部族主義
私はネットワークを、非常に人間的なものとしてとらえています。ネットワークもまた生物のように非常に有機的なもので、外部からの攻撃に対する防御システムや免疫システムを備えていると思います。
そう考えると、ネットワークにおける部族主義(Tribalism)は、数多の攻撃から自己を守ろうとする有機的な自己防衛システムであると言えます。
数多の攻撃とは、より具体的に言うと、たとえばユーザーの参入を阻害するようなメディア報道の攻撃であったり、同じような価値提案をする競合ネットワークによる攻撃などです。
部族主義とは、ネットワークへの様々な攻撃に対して人々の自然な行為が防御的な役割を果たすことで、ネットワークの価値を時間の経過とともに維持していく機能だと思います。
この機能は、ネットワークが萎縮しないように補強したり、あるいはネットワークの成長を促進したりする重要な役割を担っています。
この機能の結果として、将来的により効果的で立ち直りも早く、競争力の高いネットワークが生まれる可能性があると思います。
インタビュー・編集: Lina Kamada
翻訳: Nen Nishihara
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