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暗号通貨が有価証券ではない理由:基本的な事例の考察:シーナ・キアン氏 分析記事 ②

本記事は、シーナ・キアン 氏(Sina Kian)の「Should Cryoticurrencies Be Considered Secureties?」の内容を日本語へ翻訳し掲載したものです。原文の英語版はこちらをご覧ください。なお、本記事は法的な助言ではございません。

シーナ・キアン氏はテキサス大学オースティン校のストラウスセンター内にある「Tech, Security, & Global Affairs」に所属している研究員で、ニューヨーク大学ロースクールの助教授としても活躍されています。

暗号通貨が有価証券ではない理由:基本的な事例の考察暗号通貨が有価証券

仮にもしSECが実際にあらゆる暗号通貨は一般的に有価証券であると主張した場合、裁判所で強い反発を受けることになる可能性が非常に高いです。

特に連邦最高裁の判事の何人かは、法律で定められている範囲よりも広範の規制権を主張する機関をめぐり、「行政国家の力の増大によってもたらされる危険性」について懸念を示しています。

暗号通貨には一般的に2つの機能しかありません。そしてそのどちらの機能をとっても、有価証券のような経済的な実体や目的はありません。2つの機能というのは(1)ネットワークの参加者に報酬を与える機能(2)ネットワークが提供するサービスの取引に使用される機能、です。

例えばBitcoinについて考えてみましょう。BitcoinプロトコルではマイナーにBitcoinで報酬を支払い、ネットワーク上の取引コストをBitcoinで支払うことを要求しています。これは簡単に言えばゲームセンターでもらえるトークンのようなものだと解釈することができます。トークンはゲームの参加報酬であり、特定のゲームセンターで何かを購入するのに使うことができるものです。

では今度はHowey事件と置き換えて考えてみましょう。Howey事件の例で言えば、オレンジ農園のオーナーがオレンジで報酬を支払って農園での仕事をさせ、さらにそのオレンジで物を買える店を構えていたようなものです。

Bitcoinとオレンジの例を考えてきましたが、この2つの例はどちらも投資契約としての経済機能や実体、実質性を持っていません。そして重要なのはいずれの例も「株式の売却」という行為を十分に代替しうる方法ではないということです。ここが実際のHowey事件と異なる点です。

暗号通貨と相容れない証券法

さらに根本的なことを言うと、実は証券法の構造自体が非中央集権的である暗号通貨への適用と矛盾しています。

証券法の主な目的は銀行等の仲介を取り除くことでした。(銀行の仲介を取り除くというのは、Bitcoinをはじめとする初期のブロックチェーンアプリケーションが目指していることでもあったので、なんとも皮肉なことです)。

ロン・チャーナウ氏(Ron Chernow)が著書の『The Death of the Banker』で指摘しているように、1933年に証券法が成立する以前は、銀行は顧客に関する高度な情報を持っており、一般の人々に対してその情報を使って効果的に取引を行うことができました。

ところが証券法が出てきて重要な情報の「非差別的な公の利用」を可能にしたことで、銀行の優位性を大きく崩れることとなったのです。

証券法によって定められている情報の「登録・開示制度」は、重要な未公開インサイダー情報を持つ企業の存在を前提としており、さらに投資家利益が「登録・開示」にかかる負担を上回るという状況を想定しています。

このような前提・構造をもつ証券法を分散型であるブロックチェーンに適用するというのはそもそも困難です。

通常、BitcoinやEthereumのようなブロックチェーンでは、開発者がプロトコルを(普通はオープンソースコードで)作成して世に出した時点で暗号通貨が利用できるようになります。プロトコルが立ち上げられた後は、基本的にネットワークのリソースや影響に依存するオープンソースのプロトコルとなります。

したがってブロックチェーンのプロトコルには共有できるような非公開情報というのはほとんどなく、ましてや貸借対照表や損得計算書やキャッシュフロー計算書といった財務情報などありません。10Kや10Qといったような、上場企業がSECに提出する年次業績報告書や四半期業績報告書などの開示書類を提出する意味も見当たりません。

しかもブロックチェーンでは特別な管理機能がない限り、普通の場合、開発者は経営権を持っていません。つまりブロックチェーンの今後の方向性についての重要情報を開発者が保持していないという可能性が高いということです。

ネットワークは1つの企業のものではなく、ネットワーク参加者全員のものです。コア開発者の影響力は主に信用と説得力があるかどうかというところに依存します。しかも設計上、リスクを検討して共有するための中央集権的な役割は置かれていません。

ブロックチェーンの管理上の「決定」というのは多くの場合、ユーザーが更新されたプロトコルを採用するか、または旧バージョンを使い続けるか、という選択によって機能的に行われます。

時には「フォーク」が起こって、たとえばEthereumがEthereumとEthereum Classicに分かれた時のように、1つのプロトコルが2つになって元々あった方を使うユーザーと新しく出来た方を使うユーザーとに分かれるいうこともあります。

つまり、どのバージョンを採用するかという「決定」は経営陣ではなく、ユーザーによってなされるということです。

このようにブロックチェーンは、意味のある非公開情報が存在しない分散型プロジェクトであり、リスクについて洞察を持つ中央集権的な管理者がいない、という特徴があります。したがって証券法の本質や構造そのものと相容れないのです。そうなってくると、証券法を暗号通貨に適用しようとすること自体が間違っているように思えてきます。

そもそも誰が証券法を遵守すればいいのでしょうか。開発者たちでしょうか。また、どのような目的をもって証券法を適用するのでしょうか。適用期間の長さはどうすればいいのでしょうか。投資契約とは一体何を指すのでしょうか。誰がどのような条件で契約しているのでしょうか。このような具合に、多くの根本的な問題が生じてきてしまうのです。

翻訳: Nen Nishihara

     

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